人生

やっていきましょう

919日目

面白いネタを生み出すには、その文脈が有効なものであるかどうかを自覚せよというのが、長年創作と向き合ってきて学習したもののひとつである。

例えばある時期に流行っていたネタを何となく面白そうだからと言って盛り込むのは危険である。それを自分が面白いと思うのは、それが面白いということにされている時代、コミュニティに属しているからであり、そのような背景にあって自分がそれを面白いと感じているということを自覚すべきだ。

この自覚を失している作り手は、広義の意味でどこか身内ネタに走りやすい印象を受ける。身内ネタは文脈を共有する人間にとっては面白いが、文脈を共有しない人間にとってはまったく面白くない(身内ネタ自体は否定していない。それに需要があることも、またそれゆえに面白さのひとつの形として評価されることも妥当なことだと思う)。

創作における自分の目的のひとつは、この文脈依存性を可能な限り薄めることにあると言っても良い。無論、完全に文脈から独立することは不可能なのだが、文脈によって面白さが保証されているネタを極力排し、己の表現によって独自の面白い文脈を形成できないかと考えるのである。

自分がセンスを感じる作り手はこの代替不可能な面白さを見出している人間である。そして実際にそうした人間を自分は何人も知っている。(だからと言って彼らの面白さをそのまま持ち込むべきではない。そうした二番煎じこそ面白さの文脈依存である)。

他の作り手は知らないが、自分はこの面白さの文脈というものを常に自覚していたい。仮にも何か面白いことにされているものを面白いと自分が感じているなら、その面白さは限定的であるということを肝に銘じておく。

それは何となく思いついたネタ以上に、自分が面白いと思ったネタに対してこそ真剣に向き合うべきものである。