人生

やっていきましょう

41日目

初めて習慣を放棄した。精神的に不安定になっている。ゲームに没頭して徹夜した。朝の7時に寝た。風呂も運動もしなかった。創作も投げ出した。本は少し読んだ。

アクションを起こす勇気がない。何が新しいことをしなければならないと思っているけれど、何をしたらいいか分からない。40日経って何も変わっていない。自分は無いままだ。このままリスクを取ったところで、自分の決断では無いような感覚に襲われて、すぐに投げ出してしまうだろう。

自分は何か挑戦することを肯定してもらったことも、促してもらったこともない。信念に基づいて決断したことがまるでない。気がついたら自分で何も決められなくなっていた。何を選択するにも不安がつきまとう。自分が介入できないところで人生が勝手に決められていく。そしてどこか他人事のようにそれを見ている。

ついに耐えきれず自殺衝動のように何度も危険な挑戦に身を投げたことがある。中学の吹奏楽から始まり、高校入試、大学入試と浪人、大学生活、講義とレポート、100km走、創作、語学、就活、院試。常に自分の適切レベルのひとつ上を目指した。そして達成する度に不安定な精神下でのスリルと興奮に身を震わせた。自分は常に一歩進めば死ぬかもしれないと考えた。ある時は地雷を踏み、ある時は踏まなかった。次がどうなるか分からなかった。そうやって自分は混乱の中で壊れていった。大学まではどうにかなった。だが就活と院試で失敗した。理由は前述した通りだ。その頃には自分の現時点での実力を客観的に判断することができなくなっていた。自分は運に左右されて生かされている。今まで生き続けてこれたのは自分が強運であることの証だ。だから次もうまくいく。そう思ってすべてを投げ出した。

今思えば明らかな精神異常者だ。だがこれらは全て自分がやってきたことだ。心と体に鞭を打って実行した、衝動的で無謀で杜撰な挑戦だ。自分はうまくいく方にすべてを賭けてきたが本来であれば、ほとんどうまくいくはずがなかった。それらは突発的な自殺衝動から起こったものだ。決して自分の意思で決めたことではない。自分の不安や恐怖を自殺衝動で圧し殺して、あるいは衝動に突き動かされて無謀な行動に出たというだけだ。だから終わってみれば成功も失敗も、本当に自分の身に起きたことなのか疑わしくなる。映画を見ていたような感覚になって、誰かに話したくなる。

もうこんなことはできない。自殺衝動に耐えられる力がない。それに失敗すると分かっている賭けはしたくない。次は自分の決断で挑戦したい。そのつもりで習慣を作ってきた。だがそれも、たかだか1ヶ月しか持たない。習慣が自尊心を高め意思と決意をもたらすものとばかり思っていた。だが違った。習慣は自尊心を高め生活リズムを整えたが、自分の意思や決意をもたらさなかった。1ヶ月やってきたのに中期目標を立てようとしたら怖くて何もできないのだ。自殺衝動に頼らなければ、なんと自分は弱々しいのか。