人生

やっていきましょう

128日目

旅の良い点は自分が常に異邦の感覚にあるということだ。見慣れぬ風景に見慣れぬ人、どこへ行っても見慣れぬものばかりだ。

そういう状況下では常に想定外のことが起こる。全く異質な環境で、今まで考える必要のなかったことを考えなくてはならない。目的地の行先とその行程、時間、スケジュール、予測可能なアクシデントとその対策、その他様々な手続きをこなす必要があった。

たくさんの問題が雪崩のようにやってきて、とても言語化して処理する暇がなかった。その場で即断即決し、その場で問題の評価と解決のアプローチを迫られた。パニックで気が変になりそうだったが、唯一の救いは、そこに自分の責任が一切ないということだった。自分は常に客の立場だ。多少のミスは許容される。だから自分にとっては良い練習になったと思う。

問題を対処する中でふたつのことに気がついた。まずひとつは複雑な問題に自分が適応し始めているということ、もうひとつは外の世界の人間が一人一人異なった考えを持っているということだ。

前者については特に驚いている。自分が過酷な状況下で過度なストレスのもと必死にもがいていると、不思議と問題にうまく対処できるようになってくる。今何が問題で、どういうアプローチをすれば一番成功しやすいか、失敗したら代替案をどうするか、ここで継続するか断念するか、ということをスムーズに行うことができるようになっていた。テキパキ動くとはこういうことかと思った。初めての感覚だった。

必死にもがいていると、奇妙なことに問題解決のことしか考えられなくなる。ただ目の前の問題を解決しなければならないということだけが頭を支配する。他人の目がどうとか、どう思われるかということが思考から一切消えてなくなる。ただ問題を解決する。そして次の問題に対処する。それだけの機械になる。そしてその過程で学習したいくつかのやり方をパターンとして記憶し、別の場面で応用できる。自分の中で応用と応用の連鎖が起こり、多くのことがうまくいくようになる。

後者もまた驚きだった。経験を積むにつれ少しだけ人を見る目が冴えてきた。今まで自分は他人といえば皆同じような人間で、同じように自分に違和感を与え続け、何を考えているか分からない異界の生物だった。だが今回突発的な問題をエンドレスに解決しようとした際、意識して他人を観察するようにしたら、他人の中にも異なる人間がいるらしいということが実感できた。

何を当たり前のことをと思うかもしれないが、自分は言語情報では理解していても、実際の経験としては全く理解していなかった。他人の中には親切な人間もいれば威圧的な人間もいる。言葉が多い人間もいれば少ない人間もいる。集団の先導者がいればその追随者がいて、一方でそこから距離を取りたい人もいる。

それぞれの人間に対して自分にとって適切な評価ができるようになると、その人がどういう考えを持っているかがうっすら見えてくる。今はまだほとんど見えていないが、少しずつ見えるようになってくるだろう。