人生

やっていきましょう

485日目

Apexで自分だけチームの動きに遅れをとることがある。アイテムを探っている地域が味方と被らないように遠くの方を探していると、いつのまにか自分だけ置いていかれる。また自分はライフラインをよく使うが、ウルトでケアパッケージを呼んだ際に、仲間に無視されることがある。

また最近パズルの話題について複数の人間と情報交換をした際に、他人の情報の流れを自分は追うことができなかった。自分の頭で思索することと、他人の意見を取り入れて考えることはまるでちがう。自分は他人の情報を前にしても頭にはいらず、頭が真っ白になった。そういえば数年前の就活でもグループディスカッションで同じようなことになった。

これらは同根の問題であるように思う。自分はマイペースな人間で他人のペースに合わせることができない欠点がある。Apexではアイテム回収のこととなると必要なアイテムを探すことで頭がいっぱいになる。チームの移動が始まったらすぐにアイテム回収を中断して遅れないようについていくということがなかなかできない。複数人を交えての話題だと自分の主張を言うことに頭がいっぱいになり、誰かが問題にしている視点を共有したうえで、その先へと話題を進めるということができない。

体感では意識できないが、実際のところ協調性が無いということは深刻な問題であるように思う。自分が生きるということはそのまま社会で生きるということでもあり、社会では他者との協力が欠かせない。その能力が自分にないということは今後自分が生きていくうえで致命的な欠点となるだろう。

ところで自分にはもはや生きている意味がなく、死に半分足を浸かっている状態にある。だから自らの社会性の無さとそれに伴う不利益について憂慮することの滑稽さには笑いそうになる。

とはいえ欠点は欠点であり、改善することに不安や恐怖以上の不都合がないために、できることなら改善するに越したことはない。

その手がかりとなるのは集団全体における大局的な視点であり、今この集団では何が問題になっているかということを逐一考えることである。つまりApexで緊急時の連携が必要とされるときに、例えば離れた場所でケアパッケージを呼んだとしてもそれを捨てて仲間を助けに向かうことができるか、あるいはひとつのトピックについて複数人で考えているときに、トピックに関係しない細部の事実確認にこだわることをやめ、ひとつのトピックに限定して考えることができるか、ということである。

他人のペースに合わせるというと、自分の中では反射的にネガティブなものであると捉えてしまう。多くの定型的な人間はこの能力に長け、自分都合でなく全体の都合で即座に優先順位を切り替えて行動することができるが、そのことを安易に自分は全体主義と結び付けてしまう。だが全体主義というのは集団としての協調性を高めた結果として起こる極端な例のひとつであり、集団の足並みをそろえるということそれ自体については目を見張るものがある。

他人のペースに従うという問題は、今の自分が置かれている状況からではあまり意識されず、放置されやすい。当然そんなものは気にする必要はなく、自分の社会性の程度に合わせた環境に身を置けば良いという見方も成り立つ。だが自分は少なくともいくつかの点で今以上に協調性を持った方が有利働く場合があるということを知っている。その限りにおいて自分は改善できる余地があるように思う。