人生

やっていきましょう

189日目

ある時期から競争というものを意識し始めた。公立中学に入学して以来、テストの点数で優劣がつけられるようになった。その時初めて自分が点数をつけられる対象であることを知った。自分は勉強が大の苦手だったので、当然教師達に反感を感じた。なぜ勉強という尺度で自分の価値を測ろうとするのか理解できなかった。とはいえ中学3年にもなると高校の進路を決めなければならず、嫌でも勉強をしなければならなくなった。そしてその頃から人生の中心に競争というものを置かなければならなくなった。

世間を見渡すとどこへいっても競争がある。定期テストや高校受験もそうだが、スポーツや芸術にもコンテストがある。それに社会に出れば食い扶持の奪い合いで、競合他社に先んじることが前提となる。スマートフォンを開けば無数のゲームがあるが、大抵それらはランキングを敷いている。勝者が名誉を手にし、敗者は屈辱を味わう。これが世の常である。

自分もとにかく勝ち負けにこだわっていた。特に高校の頃が一番ひどく、競争しなければ自分は死ぬと思っていた。おそらく自分は自分がそこにいる理由を欲していたのだ。自分は大抵の人間と同じように、連帯の喜びに価値を見出すことができなかった。自分はコミュニケーションに重大な欠陥を抱えており、それゆえ誰かと喜びを分かち合うことができなかった。自分はその時本気で不登校になろうと考えていた。だがその時、自分がそこにいて良いと言える理由がひとつだけあることに気づいた。それは「学校は本来勉強する所」だという前提だ。それは自分にとって仏の垂らした蜘蛛の糸に等しかったが、勉強嫌いの自分にとってその道は茨の道であり、確実に精神に支障をきたすと思っていた。だが、自分が不登校になるということに猛反対され、退路を失った自分はこの絶望的な試合に挑戦する他なかった。

上述した通り、競争は自分が本来求めていたものではなかった。銃口を頭に突きつけられ、逃げれば殺すと脅されてやっていたようなものだ。無論その銃口を突きつけたのは親でも教師でも同期でもない。自分自身だ。自分で自分を崖の上に追いやった。ともかくそれ以降、自分の頭には勝たなければ無価値という妄想で埋め尽くされた。自分は野心というよりはむしろ不安と恐怖によって前進していた。人質は自分の居場所だった。

人は勝ち負けにこだわると、負けることに敏感になる。とりわけ勝ち筋が見えているのに、誰かが足を引っ張って負けた時や、勝ちを目指して誰も頑張らない時は相手を罵倒したくなる。これが遊びなら良い方だが、自分の命と人生を賭けた綱渡りの状況だと余計に許せなくなる。そうした窮地は自分に要求するレベルが高くなればなるほど、増えてくる印象がある。

自分も例外ではなかった。競争に憑りつかれていた頃、とにかく周りが許せなかった。なぜ誰も勉強をしないのかと思った。自分達が教師に低く見られていることになぜ気づかないのか。教師は成績優秀なクラスに甘く、劣等生はまるで期待されていない。それなのに全員が慣れ合ってヘラヘラしている。そのことが理解できなかった。

この答えは自分が挫折してから分かるようになった。要するにこれは危機感の問題だ。自分のありのままを肯定してくれる人がいるならば、わざわざ競争をする必要がない。なぜなら居場所はもう既にそこにあるのだ。友人がいるならば、彼女が認めてくれるなら、それ以上何を求めるだろう。人はその居場所を守るために戦うだろうし、そのために自分を過度に傷つけたりしない。自分の身の程をわきまえて幸せを維持するようになるに決まっている。

自分は競争に敗れて以来、自分には居場所がなかったということをはっきりと理解した。そして今も、居場所がないゆえに危機感がある。痛切な危機感だ。それゆえ前進しようとする。発展しようとする。たとえ自分が壊れても、死ぬ気で居場所を求め続けるだろう。そして自分は競争という蟻地獄から逃れられなくなる。

だが今、改めて思うのは競争だけがすべてではないということだ。これは単純でありきたりなことなのだが、自分がどれだけ勝ちを積み上げてきたかということだけが人生ではない。人との関わりの中に人生の意義を見出しても良いはずだ。趣味や学問の世界で創造力や探求心を駆使して自分の理想を形作ることでも良いはずだ。所詮競争などというものは、競わせることに利益を見出す人間が勝手に敷いたものにすぎない。

とはいえ、自分の中の喪失感と危機感がその単純な事実を直視させてくれない。自分の人生は様々な矛盾と無理によって崩壊しているにもかかわらず、どこかで戦いと勝利の名誉を求めている。おそらく競争とは自己不全感と危機感によって動いている側面もあるのだろう。