人生

やっていきましょう

191日目

自分の記憶が薄れないうちに書いておく。自分の関心についてだ。自分は今ほとんど何も関心がない。だが関心の芽というべきものはいくつかある。それがどういうものかを書きとめておく。自分の関心を書くというのは自分の幼稚な感情を暴露するためあまり好ましくない印象を受けるが、自分を忘れないために書く必要がある。

ここでは消費の関心ではなく活動の関心を指す。つまりゲームで遊ぶこと、映画を観ることなどはここには含まない。何か自発的な行動をここでは記す。

自分の関心は以下の通りだ。

小説を作ること、絵を描くこと、ゲームを作ること、動画をつくること、歩くこと、旅行に出ること、読書すること、記録をつけること、あれこれ考えること。

だいたいこのくらいだ。これらの関心は今では関心と呼べるものではない。現実での精神的な負荷からほとんど関心がなくなり、こんなことをして何になるとしか思えないものたちだ。それに自分の頭の中では「ガキじゃねえんだから、いい加減現実見て働くことを考えろ」と言う自分もいる。事実そうなのだ。本当のことを言えば自分は遊んでいる場合ではない。だからこの陳腐な妄想を半ば冷笑的に見ているところだ。

だが自分はやらなければならない。これらが自分に残された自分らしさの最後の残滓だ。これらが消えたら不毛の大地には二度と芽が生えないだろう。何となくそういう気がする。だからこれらの価値観を守るために自己否定の理屈と戦う必要があるように思う。

自分は今ひどく惨めな思いでいる。自己肯定感を世間に晒すという行為が本当に苦痛だ。それでもやるしかない。自分を忘れないために