人生

やっていきましょう

自分は既に、何かを冷笑的な眼差しで見るもの以外の作品、表現を純粋に受け取ることができない。何かのメッセージを強く訴えようとしていたり、自分の中にある感情を強く表現しようとするものの一切が、もう自分に受け付けなくなっている。

かつてはそうではなかった。自分は物事の価値を信じていた。今はそのすべてが憎たらしく思う。自分が自分らしくあろうとすると、必ず折り合いがつかなくなってくる。理解されないということの失望が、自分の中の一切の信頼を失わせた。だが今思えば、自分の信念を守るために戦う道もあったと思う。

自分は自分の抱いてきた価値観に歓迎されていないと思う。自分にはもうどこにも居場所がない。誰かに言われたわけでも、そうと決まったわけでもない。ただ自分がそう思うのである。他人も自分も信じられないから、自分は冷笑に走る。そこにしか居場所がないと感じる。

だが冷笑に身を浸すことによって、他人と関わることが難しくなってくる。どれだけ親密な人間であっても、他人の抱く価値全般が無意味に思えてくる。そんなことを本当は思いたくないと思っても、心から他人の価値を認めることができない。フリだけはうまくなる。

価値というものを信じている人たちの、素朴な姿勢に憧れを感じる。自分も何かの価値を信じて、それを共有できる人たちと囲まれて暮らしたいと願っている。しかしそれらは自分に値しない。冷笑に魂を売った自分にはもはやその資格がない。

ここに来て、他人と分かり合えないと思うことが増えてきた。これだけで自分が自殺する理由には十分であると感じる。しばらくこのことについて考えてみる。