人生

やっていきましょう

266日目

1日中感情が不安定だった。いつもより遅く寝て、いつもより早く起きたので、睡眠時間が足らなかった。過去の出来事を思い出して怒り、かと思えばひどく悲しくなり、その直後には別のことを思い出してひどく笑っていた。

こうした感情の渦にあって、今日すべきことを何もできなかった。そういうわけで今日は横になるだけで1日が終わった。日課の運動も見送った。1週間の予定は達成できそうにない。

ちょうどいい機会なので、感情が不安定になった時の精神状態を記録する。先に述べた通り自分は3つの感情、怒り、悲しみ、笑いに翻弄された。感情の落差が極端になり、冷静な判断ができなかった。

怒りについては過去の出来事や人間に対してがほとんどだった。自分を今の窮地に追いやった(と、自分がその時点で思い込んでいる)出来事、人間に対して憎しみの感情をぶつけた。暴力や悪口を一方的にしてやりたいという衝動に駆られた。この状態にあったのが、外を散歩しているときだったので、慌てて冷静な態度を努めた。

哀しみの底に落ちたのは怒りが去った後だ。散歩が終わって家に帰ると、日常的に抱いている虚無感ではない、深い悲しみに陥った。まずは怒りへの反省が来た。怒りを向けていた対象は絶対悪ではない。たとえば就職に落ちた時は企業の理がある。自分に対してひどく自己中心的な態度を向けてきた人間などは、自分を貶めてやろうなどとは毛頭も思っていない点で悪意がない。承認に飢えている事実については、承認を促す努力をしていない時点で自分に非がある。

これらの譲歩はおそらく正確な事実認識だろう。だがそれらを認めることが、自分の怒りを不当なものにしてしまうことには間違いない。自分は確かに怒りを覚えていたのだということを妥当性のもとに歪んで受け止め、自分の譲歩をもってなかったことにしようとする。そこから来る喪失感が、哀しみの引き金となった。

ひどく哀しみの底に落ちた。誰も自分のことを分かってくれないと思いたくなった。涙は出なかった。泣いて済む問題ではない。代わりに自殺衝動が再燃してきた。それでしばらく死について考えていた。自分は生きていてもしょうがない人間なのだと思いうなだれた。孤独と、絶望からとにかく解放されたかった。

飽きた頃になってネットを漁った。面白いツイートや動画があっていつも以上に笑った。これは徹夜が日常茶飯事だった大学1年のときにもそうだったが、ひどく精神的に不安定になると笑いの感度が鋭くなる。今回もそうだった。いつもなら軽く笑うだけところを、何かに憑かれたように笑った。それで寝た。

繰り返すが、これらはいつも抱いている虚無感ではなかった。自分がこれらにある程度冷静に対処できたのは、これが睡眠不足から来る精神不安であるということを理解していたからだ。

次に同じようなことがあれば、過去の出来事や他人が悪いのではなく、自分が無力だから悪いのではなく、睡眠量を増やせばいいと思えばいい。そう解釈した方が、自分を有利な方向に操作できる。

人は怒りや悲しみといった負の感情を抱くとき「○○○のせいだ」と安易に決めてぶつけることが多い。そこに歯止めが効かないとツイッターでよく見る組織・人物に対して何でもかんでも罵倒を繰り返すような人になってしまう。何かの対象に怒りを抱いた自分は受け入れつつも、別のアプローチで怒りや悲しみと向き合うことが必要だと思う。負の感情に流されることほど無駄なことはない。