人生

やっていきましょう

274日目

日常的な些細な事柄に言及するだけで1日が終わる。本当にこれでいいのか、他にできることは無いか必死に探そうとしているが、今の自分にはそれ以外あり得なかった。そこが自分の限界なのだ。

今日は何をすべきか忘れてしまい、惰性の1日で終わった。ふと気がついたが、自分は本を読まなくなっていた。決してつまらない本ではないが、読まないことが習慣化されてしまっている。改善が必要だ。

結局は動機の話になる。義務感から読書を始めても長続きしない。自分の興味を発生させ維持しやすい環境をつくる必要がある。読書と創作は動機が枯渇した。どうすればいいか。

まずは逆に長続きしている習慣に目を向けてみる。記録と運動は長期間維持できている。ひとつひとつ見ていくと、記録は頭のなかの情報を整理し現実的な認識を生み出し、それをもって次の方針を決定すること(完全忘れていたがそういう動機から出発した)、運動は精神の不安定を和らげることを動機としていた。

これらの共通点は習慣化されていて実行と維持が容易であること、習慣の維持自体が目的ではなく別の理由があって取り組んでいること、どこか自分が楽しんでいることなどが挙げられる。また、どちらも自分に無くてはならないと思っている。それは純粋な欲求からというよりは、多少の義務感からそう考えているようだ。

整理すると、まず第一にそれが自分のやりたいことで、自分を楽しませることであることが前提だ。つぎに気分の変化に応じて行動の発生がブレないように最低限の義務感を抱いておくことが必要になる。そうして自分の中で生き残った活動が自分の主たる習慣として自分を稼働させる。あるいはそれが自分のアイデンティティであると語る資格を得る。

読書とGB Studioは自分の好ましい動機からスタートした。だが次第にやっていてもまあまあ楽しいことだから今日はやらなくてもいい、やりたい時にやろうと思うようになった。そしてやらなくなってから自分の中で関心が喪失した。毎回この調子だった。だが義務感を強めて行動を強制したら関心が無くなるどころか嫌悪感が募る。だから義務感は必要だが過度な乱用は禁物ということだ。

とりあえずやるべきことは、まずは身の回りの空間を整理する。ゴタゴタしている場所に様々な感心ごとが並存している場合、関心が分散する。読書を根づかせたいなら、読書専用のスペースを用意する(図書館に行けない間だけ)。次に面白いと思ったことは積極的に取り組む。どうせ無意味だと悲観的にならず、無意味であることに楽観的になる。ただし楽しいと思い込むことだけはしない。つまらないと感じたら一旦距離を取る。最後にやると決めたらやる。いちどやらなくなったものは、次もやらなくなる。期限を設ける。関心が分散していると期限を忘れるので注意を集中させた後にする。関心が喪失しても目標を極力分割すれば誰でもできるくらいの最低限の課題は設定できる。それをその日はやる。以上の3点だ。忘れないうちに実行したい。