人生

やっていきましょう

314日目

考える機会が減った。ただ一日の平穏のことだけを望んでいる。今はおいしいものを食べることと寝ることに関心がある。その他のことにはあまり目がいかない。

かつてある思想家は、欲こそが苦しみの根源であり、欲を断つことで魂の平穏が訪れるのだといった。ある意味では正しい。自分も欲が失われたことで、他人と比較しなくなった。容易に越えられない壁を越えようとして、自己破壊的に挑戦することもなくなった。自分の弱さに劣等感を抱くことも減った。傷を受ける機会が減り、心が癒されている。

だが本心を言えば、欲のない人生に満足はしていない。たとえ苦難や心労が伴ったとしても、志を掲げ何かに全力で打ち込む人生にの方に自分は憧れを持つ。欲を持たないということは、荒波を立てずに生きるということであり、とりわけ変化のない状態が死ぬまで続くということだ。

こうした見方は単に虚構であるとはいえ、自分の中で一定の説得力を持つ。自分は悲観と失意の中で変わらない平穏を刹那的に生きるよりは、もう一度立ち上がり再び変化の中に身を置きたいと思っている。欲が底を尽きたとはいえ、その考えは1年前と何も変わっていない。

欲があるということは実は尊いことだったのだと感じる。それは暴力的かつ加害的な側面もあり、一概に賛美をすることはできない。とはいえ自分は、意欲や関心といったものを突き詰められ続ける源泉を持った人間達に対して尊敬の念を惜しまない。それがなければ人は何も動き出せないからだ。

失ってからその重要性に気づくものがある。自分にとって意欲や関心とは、まさにそうしたものだった。本当は意欲を持って外に出て自己実現の物語に浸りたい。だがそう望めば望むほど、それらが素朴な虚構であって、もはやその種の神話を信じられる心が自分には伴っていないのだということに気づかされる。

自分は物語の住人には戻れず、かといって欲のない平穏な暮らしを心から望めない、そうしたジレンマの中で、何も意欲を持てない自分にただただ失望している。そしてそれは苦痛や苦難といった感情的なドラマをもはや演出しない。ただ歴然とした、なんの変哲もない、不可避の事実としてそこに居座り続ける。