人生

やっていきましょう

341日目

ゲームの開発を再開した。進捗は遅く思うようには進まなかったが、それでも何歩か前進した。このステージはもう残すところボスの部分を作るだけで、それが終わればようやく次に進むことができる。

100年経っても完成しないサグラダファミリアの残り作業を処理している気分だ。5年前に制作し始め今に至る。投げ出すこともできたが、結局今まで投げ出すことができなかった。作れば作るほどサンクコストが上がり自分でも捨てるに捨てられなくなっていた。

次のサブクエストのステージを終わらせ、章全体にかけての微調整を終わらせて、ようやくストーリーが完成する。残りはアイテム配置と戦闘関連で、ここが一番難しい部分だと感じる。それでも5年前と比べたら自分の心境は変化してきていて、決してそれは不可能な問題ではないと思うようになってきた。

不可能だというのは可能なことと不可能なことが分けて見えていないからだ。たとえば戦闘関連、と自分は5年前から呼んでいたが、実際はスキルエフェクトの開発であったり、技の効果とゲームバランスの関係で生じる困難のことを指しており、その部分が解決されれば良いだけの話である。それが分かっていれば「戦闘関連ができない」と漠然とした強大な不安に嘆く必要はなく、どうすればこの部分が自分の狙い通りに行くだろうかと解釈しなおすことができる。その方がより具体的にアプローチできる。

こうしたことに気づくのに4年は遅かったと感じる。中高の段階でその事を悟っている人間もいたかもしれない。実際早いうちからこのことに気が付いていれば、自分の人生はもっと軌道に乗れたのかもしれない。自分がこのことに気がついたのは半年から1年前。2018年以前は一瞬でもそんなことを考える余裕もなかった。

自分の一切の無知を悟り、どこまでが自分の手に届く範囲であるかを見極める。自分は万能でもなければ極端に無能でもない。自分の不安感情も多少は制御できる部分がある。自分が不可能だと思う問題でも、部分的に解決できることはある。その部分というのが仮に小学生でも対処できる問題だったとしても卑屈になる必要はない。とにかくその範囲までは自分はできるということが自覚できれば、そこから先の道に一歩進むことができる。

もちろんこんなことは基礎中の基礎で、そこまで厳格な基準を設けない上での話だ。たとえば自分の実力を超えた1回限りの挑戦では、基礎があっても失敗することもあるだろう。先の状況が予測不可能な大混乱では、基礎はある程度有用だが必ずしもそれが状況に対処できるものではない。

とはいえこの思考の基礎を持つ限り大抵の問題は対処できる。大抵というのは、初心者が出せるほどの最低限の成果のことを指す。料理ならとりあえず食べられるくらいにはできる。仕事なら与えられた指示には従える。ゲームならとりあえずクリアはできる。絵ならばとりあえず形にはできる。そこから先に進めるかどうかは、やはり忍耐力や勘、センスの問題ではないかと思う。だがそれらは今問題にはしない。

とりあえず今は基礎ができてきていることを評価する。基礎によってできる範囲が可視化されたことで、今まで感じていた不要な恐怖や不安を抱く必要があまりなくなる。不安が無ければ何度でも試行錯誤できる。だから思考の基礎を運用することを恥と思って躊躇ってはいけない。誰もが首をかしげても自分だけは評価する。

そういえば最近運動をし忘れていた。ダークソウル2に熱中していて日課をこなす余裕がなかった。今日庭で思いつきの縄跳びをしていたら息切れが激しかった。体力が落ちている証拠だ。明日から運動を再開する。