人生

やっていきましょう

357日目

自分が特定の価値観を持てないのは、度重なる自己否定の結果だろう。自分の信じたい価値には脆弱な点があり、そこを自分で執拗に言及し続けることで価値の信奉を放棄してきた。本当はそうした脆弱な点を踏まえた上で肯定するべきだったのだが、自分は価値の放棄を選んだ。その結果、もはや手元には信じられる価値がほとんど残っていない。

自分は老いたらどうなるのだろうか。老いは人を頑固で偏屈にするが、それは結局脆弱な自己を守るために自らの価値観を手放さないでいるからだろう。自分にはそれがない。自分を守ってくれる価値がどこにもない。若いうちは冷笑仕草で誤魔化せるだろうが、本当に余裕がなくなってきたとき、はたして自分は正気を保っていられるだろうか。

自分は自らの価値を殺し環境に適応する道を選んだ。自分には自らの価値観を生かし環境の要請も生かすという気用なやり方ができなかったら、結果的に自らの価値観を失うこととなった。

一度虚無的な思想に堕ちてしまっては、もう二度と価値観をまとって生きることができないように思う。虚無との戦いの中でどうにか自分の価値観を守ろうとしてきた記憶をまだ覚えているが、生きるということが本当にふわふわしていて、苦しみの中に些細な感動があって、どこか物語の中の世界にいるようだった。

おそらく価値観を未だに持っている人間は、あの空想の世界の中で生きているのだろう。それが本当に羨ましく思う。自分は今まで理想を打ち砕く不条理に何度も遭って、その都度立ち上がったが失敗した。今では価値観を喪失し、何もする気が起こらない。自分には何もない。これからも何も起らない。

つまらない人間だと言われても反論の余地がない。自分は本当につまらない人間だ。価値観を持たないのだ。何を聞かれても、何を求められても、何もないとしか言いようがない。1年頑張ったが無駄だった。色々と試行錯誤はしたが、自分の心の中には何も生まれていない。