人生

やっていきましょう

388日目

難しいことをあれこれ考えず、ただ目の前のことだけに注意を向けて生活している。それだけでストレスは大分減り、心が安定している。

今日は外を走った。長距離に慣れてきて、7、8kmくらいなら気軽に行けるようになった。以前より肉体的な疲労がたまるようになったが、精神的な不安定に比べればなんともなく、むしろ心地よさを感じている。

今日は少し思い当たることがあった。自分の身に頻繁に起こる精神の退行状態について少し考える。

以前から繰り返し自分の身に起きていることだが、精神を自発的に安定させようとしているとき、自分でも信じられないくらい認識力が退行してしまう。自分を悩ませる一切を放棄して、最も単純な考えに囚われることに喜びを見出してしまう。これは大学入学以降から始まって今でも続いている。

たとえばゲームでは、このステージをクリアするためにはどうすればいいかということを考えず、闇雲に突撃する。リスクを判断し進むべきか退くべきかを判断せず突撃する。こうした無謀な突撃をネットの知人に話してゲラゲラ笑うときがある。

あるいは難しいような話をして、そうした一切を自分でぶち壊したくなる衝動に駆られる。そんなことをすればバカに見られるということは分かっているのだが、自分が突拍子もないことで馬鹿をやって馬鹿にされたいという衝動が突然襲ってくる。

明らかに死ぬと分かっている行動をして、その通り死んだことが面白くて仕方がない。賢しらぶって難しいことを考えているつもりが、実際自分はそんなことを考える能が無いということを自ら公然と明らかにすればそれだけで笑いが止まらなくなる。

どういうわけでこうした退行が起こるのかわからないが、俺は狂っているんだと喚きたてることが、ストレスを昇華するやり方として定着してしまっているようだ。そうした態度はいつも「馬鹿をやっているフリ」のつもりから起こっているにちがいないが、最近ではそれがフリなのか本当なのか分からなくなっている。

実際のところ、自分は多少は賢く生きようとしてきたつもりだったが、実際のところ賢さには程遠く、バカをやってる方がお似合いだといわれればそうかもしれないと思う。

ただこうした態度はあまり続けるべきではないと思う。自分をピエロのように嘲笑うのは楽しいが、裏では自分の自尊心と向上心を破壊し、楽な道へと流れ続け、本当にバカなことしか考えられなくなってしまう。その点に関しては幸いまだ危機感があり、バカをやってる自分をふと客観視してこのままではいけないと思いなおすことができているようだが、本当に危うい状態の一歩手前であるという自覚があるので、意識を途切らせないよう常に警戒する必要がある。

繰り返すが、自分の知る限りの行動可能な範囲で世界を完結させ、ひたすら堕落し退行する自分を笑いをもって称揚するという衝動に易々と屈し、すべての発展的な意欲がその不毛な自己破壊衝動に吸収されていくというのは深刻な問題だ。その退行を抑制するという意味で記録の習慣は重要な意義を持っていると確信している。記録が自分の理性の最後の防波堤であり、これが崩れてしまえば自分はただただ混沌の渦に飲まれるだけだろう。向上心は高く持ち続けなくてはならない。