人生

やっていきましょう

444日目

自分の精神は快調に向かっていると思っていたが、実際はその反対だった。明らかに数年前と比べて精神が衰弱している。

最も自分の衰弱を感じるのは、ストレスに対して脆くなっているということだ。それまで元気だった自分がトラウマを正面から受け止めようとした途端、心が崩れた。不安に対する理性的な対処が意識されていても、未だに立ち直ることができていない。以前よりも崩れやすくなっていた。

トラウマの引き金は大学付近に寄った時に呼び起こされた。今までの自分は大学にいた時の記憶を無意識に切り離していたが、体力が回復するにつれ、自分は確かにそこに居たのだという感覚を徐々に取り戻してきた。それに伴いトラウマが鮮明に思い出され、取り返しのつかない状況になった、あれから数年経つが未だに何も前進できていない、といった事実が次々と思い出され、久々に深刻な不安を覚えた。

不安は次のように考えることで抑えた。

まずは過ぎたことは仕方がないということ。あの時こうしていればという後悔は、当時の自分にはおそらくできなかったという事実を確認することで相対化する。挫折したということは、いかなる要因が考えられるとしても、まず当時の自分に対処できる能力がなかったということが原因だ。その事実をまずは受け入れる必要がある。その事実はこれまで誤魔化していてなかったことにされていたが、挫折の一因はその無意識な隠蔽にあった。

次に自分は何もしてこなかったわけではないということ。何も分からず混乱状態の中で自分は何かを改善しようとしてきた。その過程が450日近い記録に表れている。後半は目標を設定できずほとんど停滞気味であったとはいえ、少なくとも以前よりは自分と向き合い、問題点を解決してきた。ほとんど無に等しいが、現実から目を背けて何もしてこなかったわけではない。

また他人の人生は自分の人生ではないということ。他人を見れば、すべてが恵まれていて、人生が上手くいっているように見える。精神的に挫折をしていないというだけで恵まれていると感じる。そこに至れなかった自分の不甲斐なさを感じて惨めになる。だが他人は他人でしかない。他人の人生、他人の理想に自分が操作される必要はまったくない。彼らは彼らの信ずるところを表明しているにすぎず、自分もまた同様に自分の人生を歩めば良いだけだ。他人の人生に自分が影響されるかどうかは自分で決める。それが現時点で難しいものだとしても、最低限その努力はする。

これらの言葉は実際のところ何の解決にもならないが、少なくとも自分の人生を悲劇的な没入から距離を取る方便にはなる。事実、自分はこのように考えることで冷静さを取り戻した。以降も不安が襲ってきたらこのように対処する。

トラウマを負ったことは事実であり、未だに癒えない傷を残したことも事実だ。しかし事実の一部だけを見て、それがすべてであると誇張するのは適切なやり方ではない。トラウマは痛みを伴い、明らかな精神の衰弱をもたらしたが、それがすべてではない。かつてそれがすべてだったということであり、今は違うと考える必要がある。