人生

やっていきましょう

481日目

冒頭の演出に問題がある。一番の問題は多くの時間を割きすぎているということだ。冒頭からゲームが本格的に始まるまでには、いくつかの長いシーンを経る必要がある。そのうち今取り組んでいる場面があまりにも長い。これは映画や漫画ではなくゲームであるということを忘れている。だから場面を見せるだけではなく、実際に操作させるシーンも挟まなければならない。

なにか良いやり方がないかずっと考えていたが、自分の想像力には限界があった。結局、演出場面の間にボツにする予定だった操作のシーンを無理やり挟みこんだ。新しく操作用のマップを作ることも考えたが、今度は操作のシーンが長くなりプレーする気がなくなったので断念した。ボツ用のマップは5年前につくったもので演出がわざとらしくやめるつもりだったが、他に使えそうなものがなかったので採用した。

自分はまた修正に力をいれすぎている。自分はもう忘れているようだが、今回の目的は「完璧なものをつくる」ではなく「ゲームを完成させる」ことだ。そのために多少の雑さは飲むという話だった。そのことを自分はよく理解するべきだ。このシーンは今日中に完成させる。修正の余地は残すにしても、とりあえずは完成といえるレベルに仕上げることを優先したい。

ところで自分の完璧主義に関する内省を少し試みたところ、どうやら自分はあらゆる面で改善したいところがあってそれに夢中になっているというよりは、欠点が目につきすぎてその部分の気持ち悪さを修正しなければ安心できない、というように思っているらしい。自分はプレーする側がゲームにクサみや飽きを感じられたら困るという強迫観念が強すぎるようだ。こうした負の動機から修正に没頭するので、いつまで経っても粗さがしを続けてしまい、その結果生まれたものについてもまた粗さがしをしてしまう。

これもまた先日の話になってしまうが、粗ばかり探してその修正ばかりをしていると、自分本来の持っていた面白みが削られてしまう。だから、こうした動機に察知したらすぐにその修正はゲームの面白さを直接引き出すことに繋がるかを自問するといいだろう。今取り組んでいる場面を生かす方向に修正をするならば、それほどの手間を必要としない。とにかく自分はどうしたいのかを見定め、その狙いを生かす演出であれば採用し、そうではないところは後回しにする。このことを忘れてはならない。

また、どうしたらいいか分からないというシーンがある。何かを演出したいが、何をしたらいいのかわからないという場面だ。本来であればそうしたシーンは外せばいいのだが、そのワンクッションがなにかあることで後半が生きるという場面もある。この点については未だ答えが出ていない。はじめからどうしたいかというものではなく、その場その場の直感的なもので、具体的に言語化できない問題だからだ。この点についてはどこかで諦めた方が良いだろう。あるいは一旦寝かせて、保留して先に進めてもいいかもしれない。