人生

やっていきましょう

574日目

自分はよく悩む。ひとつの選択を選ばなければならない時、どれかを捨てることができない。あれこれ悩んだ末に、結局多くの選択肢を保留にする。それで問題や機会を見なかったことにするか、保留という決断をするに至るまでに感じた苦労をもって何かを決めたような気になる。

悩むことは無駄だとはっきり言う人間もいる。悩んだところで答えは得られない、あるいは悩む前に既に答えは出ており、あとはリスクに怯えているだけだと言う。

実際、ある程度悩むことは必要だと思うが、それが過剰になると生活に支障が出る。自分の場合、悩むことで1日の大半のエネルギーが浪費されていると感じる。もし自分がこれほど悩む人間でなければ、外の世界で多くの経験をすることができ、もう少し人間的で温かみのある感受性の豊かな人間になれただろうと思う。

自分は愚かだ。とにかく同じ問題について何度も悩む。決して諦めず、何日も考え続ける。一度検討した問題も、何度も最初から考え直す。そして気がつけば、また同じルートを辿っている。

少しは賢くなる必要がある。これだけ自分は悩んできたのだから、どの悩みにも既視感がある。少しだけ自分の悩みについて整理してみる。

大抵それらは自分の能力以上の問題に挑もうとして、うまくいかないことが分かっている時に起こりやすい。かつ失敗したときの心的ダメージが大きいものであり、その失敗で副次的に生じたトラウマがこれ以上増えることを恐れている場合に、それでも自分は退けないと思い込もうとしているとき、悩みは深刻なものとなる。

自分の現在の能力では太刀打ちできない問題は、一度諦めることも重要だと思う。だからといってこの判断は永久かつ不可逆的なものであるわけでなく、また今後の人生における一切の関与を断念するという意味ではない。「今はやめよう」という程度の軽い決断だ。

これは自分にとってかなり重要なものであるように思う。悩んだ時、自分はこれまで「ここでは絶対に退けない」と思い込みすぎた。その結果自分は神風特攻隊のようになり、死なばもろともで散る勢いだった。そして的確な判断を失い最後には致命傷を負った。

もし今の自分にできないということが分かりきっているならば、一旦その問題は諦めて別の問題に切り替えるか、その問題の中で自分にできる範囲のことを行った方が良い。当然諦めないという選択肢もあるべきだが、それは自己破壊的な盲信によってではなく、他の選択肢と比較した上での決断であるべきだ。

これだけでも無駄な悩みは相当削られるのではないか。自分の中の悩みを減らすことでその分別のことに時間を充てられるということは何度も自分に言い聞かせる必要がある。