人生

やっていきましょう

579日目

図書館で借りたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んで4.5年前のことを思い出していた。当時の自分は経緯は違えど、多かれ少なかれホールデン・コールフィールドに似通った思考を持っていた。初めて読むには遅すぎたと思うが、それは自分自身が大きく変わってしまったからだろうか。

自分は大学に入ってから「子ども」でありたい、もしくは彼らと同じでありたいという必要に駆られていた。これはただ単に責任を放棄したかったという意味でなく、今まで必要以上に「大人」のロールを引き受けすぎた反動であるように思う。

とにかく自分は自分の願望や感情を一切捨て、社会の規範から逸脱しないように努めていた。自分の直感的で粗暴で知性的でない本性を否定し、後頭部に銃口を突きつけられて従わされるような義務感と責任感を抱え、必死に自分を社会に適応させようとした。

一浪をして大学に受かった後に上京したが、それまでの重圧が無くなるどころか更に悪化した。とにかく規範的で従属的であろうとした自分にいきなり圧倒的な自由が与えられたので、これまで以上に自分を律する必要があった。

だが一方で、そうする自分が偽物であるようにも思った。自分は軍人のように強く、参謀のように賢くならねばならないと思っていたが、その責任を自分に課している当の自分の精神は、実は自分が思っている以上に未熟だった。自分は年齢相応の精神の成熟を経ないまま、社会規範の重圧を自らに課し続けたことで、自分の本心と社会でのロールが大きく乖離していた。

その結果、自分は形骸化した「大人」であるという自覚を得た。自分はまだ「子ども」であり、子どもらしいことをまだ何もしてもいないのに「大人」のロールを背負っていた。そのことが相当応えたのか、自分は失われた「子ども」時代を取り戻そう、「子ども」のままでいようと思うようになった。

そう思ってから、自分は「子ども」らしいふるまいをするようになった。「子ども」っぽい関心を抱くようになり、無計画の思いつきでどこかへ飛び出すこともあった。

その反面、社会性を獲得していき大人びていく同期を見るたびに吐き気がした。とにかく自分をアピールするための欺瞞だらけの言葉や振る舞いを身につけていく様は見るに耐えなかった。それは就活や面接試験といった儀礼に限らず、あらゆる社交においてそうだった。

ホールデンはアーニーというピアノ奏者に対してこうした欺瞞を感じている。とにかく自分を大きく見せようとしてピアノの曲を俗悪なものに変えていた。その時ホールデンはこう語った。

でも、変な話だけどね、演奏が終わったとき、僕はアーニーのことをいささか気の毒にさえ思ったんだ。この男には自分がまともな演奏をしているのかいないのか、それさえもわからなくなっているんだろうってさ。でもそういうのって、本人のせいばかりとも言えないんだ。熱烈に拍手する抜け作どもの方にも責任の一端はあるはずだ。そういう連中が手当たり次第、誰だって駄目にしちまうんだよ。

 当時の自分がこれを見ていたらホールデンは自分の内面を代弁してくれたと思うだろう。だが今の自分から見れば、実は自分はアーニーだったということを見透かされたような思いがする。社会性を身に着けていく同期に対して感じていた嫌悪は、まさに自分がそうあろうとしていたことに対する嫌悪であった。

実際、自分の精神が安定して発達していれば、つまり自分が変容していくことに無頓着であれば、自分も同じように社会性を身に着け、新たなステージで虚飾を楽しんでいただろう。だが自分は先んじて「大人」の義務感や責任を引き受け、「子ども」の自分を甘やかすということをしなかった。そうした自分が心理的安定を伴ったまま成人していく同期を見て何も思わなかったはずがない。彼らはある程度の成熟の上に虚飾を纏うのであり、自分にはその成熟がない。虚飾を支える強さが自分には存在しなかったのだ。それで自分はもう一度「子ども」からやり直さなければならないと思い込むようになってしまった。

だが結局のところ、自分はライ麦畑の「子ども」たちにはなり切れなかった。当時の自分としては驚くべきことだが、「大人」のふるまいをすることの欺瞞を痛切に感じていた一方で、自分が「子ども」であると思うこと自体にもうっすらと欺瞞を感じていた。今の自分から見てホールデンという人間は「子ども」に意識が向きすぎており、そのことが今の自分とは重ならなかった。

自分は「子ども」であろうと思ったときから今に至るまで、実に多くの「子ども」と交流してきた。彼らの多くもまた社会が期待する虚構と欺瞞にまみれた「大人」像を激しく嫌悪しており、自分が本当に楽しいと思えるものに夢中になろうとしていた。自分も当然そうなろうと努めていた。

しかしそうすればするほど、自分は彼らとは違う人間であると思うようになった。彼らはライ麦畑の「子供」たちのように何らかの童心的な世界を持っていて、そこに本当の自分のあるべき姿があると素朴に信じていた。だが自分は、むしろホールデンのように、彼らをキャッチする側の人間であることを自覚せざるを得なかった。

ホールデンはそのことを理想としていたが、自分はこれほど不愉快なことはなかった。自分は「子ども」になろうとしているのに、その中で結局は「大人」のロールをやってしまっているのだ。夢や理想を抱いている「子ども」たちに対して懐かしみはあっても素朴な共感はなく、園児たちと一緒になって戯れる先生のような、冷めた心に虚飾を纏って自分を偽っている。これは労働的な義務感だ。そういう態度をすまいと思っても、誰もしないのであれば自分がやらなければと思ってしまう。

こうした「大人」のロールを無理矢理捨てて「子ども」に立ち返ろうとしても無駄だった。彼らには自分の理想に対する素朴な信仰がまだあり、自分にはない。自分は小さい頃から、絵を描きたい、小説を書きたいと、ゲームを作りたいと思っていた。だがいざ自分が創作してみると、そうした内向きの満足を得る方向には向かわず、もはや存在しない素朴な希望を再生させようとして失敗しているという事実だけがありありと見え、胸が苦しくなる。

それが叶わなくなると、自分はどうにもいかなくなり、最後には「子ども」たちに自分もまた「子ども」の一員であると承認されることだけを内心に求め始めた。彼らは当然自分が「子ども」のロールを振舞う限り素朴にそう思っているのだが、自分の方ではもはやまったくそう思っていないのである。

結局自分は、ライ麦畑でキャッチされることがなかった人間だった。非情な現実に突き落とされ、ひたすら落下する。その落下を止めてくれる人間は誰もいなかった。だからホールデンが「子ども」の聖域を守り続けるキャッチャーになろうとする動機はよくわかる。だが自分は、そうした献身によって自分が救われるとは到底思えないのである。

ならば自分に、再び「大人」の責任を課すことができただろうか。おそらくできなかっただろう。自分は明らかに「大人」としての時間が長かったが、自分の義務感は既に擦り切れていた。それに自分はもはや義務を果たすことがやりがいであるとか、救いであるとか、自尊心を高めると思うことができなくなっていた。その種の欺瞞にもやはりうんざりしていた。

結局2018年に精神が限界を迎えてすべてを投げ出したが、そのことが決定的となって「子ども」にも「大人」にもなることをやめた。やめたというよりは、物理的にできなくなった。とにかく自分の頭の中は、途方もない虚無と肥大化した自意識に埋め尽くされ、自分が消失した。本作の言葉で言えば「落下」して「底打ち」した。

あれから3年経ったが、今の自分はやや精神の安定を取り戻した。今の自分は「子ども」と「大人」をどうみるのか。

ライ麦畑でつかまえて』の終盤ではミスタ・アントリーニなる人物がホールデンと話をする場面がある。自分はこの場面が、今の自分にとって最も共感し、納得できるシーンであるように思えた。ホールデン自身は聞く耳を持たなかったが、「恐ろしい種類の落下」や「勉強」の話は今の自分に語りかけているように思えた。中でもヴィルヘルム・シュテーケルという医師の言葉から引用した一説は自分の関心を惹いた。

 「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」

 丁度これは自分が卒論で扱った2人の著者の対比と重なるものがあった。1人はかつて大義のために生きたが、後に戦争で敵方の兵士に捕まり、毎夜獄中で囚人が死刑される声を聞くという極限状態を経た結果、どういうわけか大義を見失い、結局最後には自殺をした。

 もう一方の著者は同じ戦争で喉を銃弾で貫かれるが、現実主義者であり、前述した彼ほどには理想や大義というものを抱かなかった。彼は自殺をせず病で倒れるまで最後まで生きた。

自分はこの意味が少しわかる気がする。高貴なる死というものは様々だが、自分は自身の問題として自殺を考える。自分が自分であるためには自殺をしなければならないと思う時がある。それが自分の本来的な意図や理想を、その形のまま留めて置く方法だからだ。要するに本著で書かれていた博物館のガラスケースの中にある遺物やミイラのようなものだ。自分の理想が悉く崩れ去り、どうにもならなくなったとき、自分は自ら死ぬことで保存される。それが無意味であったとしても、そうすることが救いであるように思うことはある。

自殺をしないのであれば、自分は保存されず変容していくまま生きていくことになる。自分の傷は増える一方で、自分は何度も失敗し、無様な醜態を晒し続けることになる。これほど惨めなことはない。長く生きれば生きるほど、自分の失態は蓄積されていく。そこには救いがなく、ただ苦痛しかない。

だが実際、そうした苦痛を生き延びた人間は成熟するだろうと思う。その成熟というのは道徳的に大成するというよりは、自分の中の痛みと向き合い続ける術と知恵を得るだろうということだ。変容する自己と現実に対して折り合いをつける、こうした態度を学び身に着けようとしている自分にとっては、苦痛の中にあってしぶとく生きるという成熟した態度に心惹かれるものがある。

今のところ自分は自殺するつもりがない。だが自分が自殺と隣り合わせに生きているということを忘れてはならない。自殺の選択を迫られた上でそれでも生きるということを選んだ。それが自分の起点である。