人生

やっていきましょう

634日目

あらゆる知識と情報には奥行きが存在する。自分が平時何も意識していない状態ではまったく見えないが、それが確かに存在するということに意識を向けたとき、自分はとんでもなく無知であることを自覚する。

奥行きとは、情報がより広く深く細分化され、様々なものに影響を与えているということだ。先日訳あって法律関係の文章を読んだが、法律というものはどこまでも記述を明確かつ論理的なものにすることに腐心しているということがわかる。それを見て自分がいかに曖昧な言葉を使って世の中を見渡しているかということを自覚した。

法律だけではない。世の中には様々な分野があり、少なくとも分野として確立しているものには奥行きがある。スポーツにしろ芸術にしろ、あるいはゲームにしろ奥行きがある。それぞれが体系化され、関連する情報が確かな繋がりを持ち、互いに影響しあっている。

自分は日頃からあらゆるものに意味がないと言っている。しかしそれはすべての分野の奥行きを認めた上で言っている訳ではない。自分の単純かつ短絡的な世界観の中で情報が完結し、その内側に意味がないと嘆いているだけである。

あらゆるものに意味がないということは事実だ。しかしあらゆる情報を具に理解しようとせず、自分が無知でありながらこの言葉を口にすることは、自身の怠慢であると言わざるを得ない。

自分は複雑な情報を前にして自分の無知と思考力の欠如が明らかになり、自分に残された僅かな自尊心を削られることを恐れているのだろうか。しかしそんなつまらないプライドはただちに捨て去るべきだ。自分がこの世に対して優位を張れる浅はかな見栄はニヒリズムの直視にあると言っていいが、その言葉の破壊力に常に甘んじていたことで、気がついたら自分は無知を覆い隠し、識者の仮面を被って満足するような人間になってしまった。

ニヒリズムというものはあらゆる価値の否定であっても、複雑な問題を単純化していい理由にはならない。そうなりがちなのは自分でもよく分かっているが、一度自身の怠慢を認めてしまえば、いずれ自分の発信する情報は短絡化し、ひどく不完全な情報をただ反芻するだけの人間になってしまう。このことを強く自戒し、複雑な問題を安易に単純化せずそのまま直視できるようになりたい。