人生

やっていきましょう

715日目

春から夏にかけるこの時期に入り、再び蚊に遭遇するようになってきた。今日もまた蚊に刺されじわじわと嫌な思いをした。刺されるまで蚊が存在することをすっかり忘れていた。もう夏なのかと感じた。

自分が今見ている蚊は去年に(成虫として)存在した蚊ではない、ということに不思議な感覚を覚える。場合によっては越冬する蚊もいるようだが、大抵は夏の数ヶ月で寿命を終えてしまう。だから自分は同じ蚊に出会うことはない。当たり前のことかもしれないが、蚊とは一期一会の関係にある。

自分がもし蚊の立場ならどんなことを考えるだろうと想像した。蚊の一生は余暇を楽しむ猶予もなく、次の世代にバトンを渡してあっさりと終わる。おそらくそれが虚しいと思う暇さえないだろう。そうせざるを得ないという必要に駆られているうちに死が訪れる。

それは人間の生とはまた異なったものだろう。人は余暇を楽しむことを求めるし、目先の満足とは別の満足を求めることもある。それは人間がある程度死を遠ざけることができる猶予を持っているからに他ならず、そのために先のことを悩んだり、どうでもいいようなことに意識を向けることができるのだろう。

また次のようにも考えた。蚊は自らの限界を知ったとしても、その上で自分を克服しようと考えるだろうか。自らに圧をかけ、自らの力量以上の困難に立ち向かおうとするだろうか。おそらくそれは不可能だろう。自分がもし1ヶ月の余命しか与えられていなければ、おそらくただ満足を得るために生きようとするだろう。人生に虚しさを挟む余地を与えず、自分が満足を得ているうちに死ぬことを望むだろう。間違っても苦労を重ね不幸と虚無感の中で死ぬことはしないはずだ。

自分は今未来を信じる余力もなく、ただ目先の満足を追い求めているだけの人生を送っている。それは生物として当然の生き方かもしれない。だがそんな生き方をしてきたことを蚊を契機に気づかされたとき、自分はこのままでいいのかと再び悩み始めた。自分にまだ猶予があるのなら、疲弊のうちに満足を求めるだけの人生を送るのではなく、まだ見ぬ困難に立ち向かうことができるのではないか。

いずれにせよ無意味であることには変わらない。だが自分にはその選択を取る猶予があるということを理解しておくべきだろう。その猶予はいつまでも存在しているわけではない。自分は忘れているが、自分は着実に死に向かって歩んでいる。