人生

やっていきましょう

757日目

一貫した態度を持つということは容易ではない。自分がどのような考えに立っているかということに自覚的になり、そのことに十分従えているかどうか警戒する必要がある。かつての自分の考えに対して記憶を持たなければならない。その上、情勢の変化に対してその都度応えていかなければならない。

一貫性というものにたいして世間では至上の信頼が寄せられている。だが自分には、一貫性を保つということが不可能であるように思う。自分は考えがよく変わる。多くの問題はすぐには断定できないと考える性分だから、ああでもないこうでもないと考える度に視点が変わってくる。かつてはこれが正しいと思っていたが、別の日には違うことが正しく思えてくる。そのように頭を巡らせていたのでは、一貫性など保てるはずがない。いったいどれほどの人間が自らの変化に抗い一貫性を保てているというのだろうか。

しかし一貫性が保たれていなければ困る分野というものは数多く存在する。たとえば政治家は公約に対して一貫して実現するということを訴えていかなければならない。気分次第で公約が変わっていたのでは国民の信用を得ることはできない。また学者は自説に対して一貫した根拠を持たなければならない。何でも思いついたままのことを自説に取り込んでいたのでは、結局何が言いたいのか分からないということになる。他にも多くの機械には一貫した部品があてられる必要があり、パソコンやテレビや時計もまた一貫して機能してくれなければ大変なことになる。貨幣が日本で通用するのは、貨幣の製造元やデザインが一貫しているからに他ならない。だから世の中には変化に耐えうる強固で一貫したものが必要だということはよくわかる。

しかし自分は一貫性を保つということが困難である。思いつきが常に頭に流れていく自分にとっては、そのまま思いつきの流れの中に身を任せたい。一貫性を気にせず自由に発言したい。

このような衝動を常に抱えているが、しかし(だからこそ)自分は一貫性に対する強迫的な不安から徹底的に自家撞着に陥らないように神経を尖らせている。とにかく矛盾に陥ってはならないと思っているようだ。しかしその割には見逃す点も多く、そのことに気づくたびに自責を繰り返す。