人生

やっていきましょう

778日目

テレビではオリンピックが流れている一方でTwitchではApexのストリーマーの配信を見ることができる。今更メディアの多様性について語るのはもう古いかもしれないが、様々な放送が同時に配信され、それをつまみ食いするように渡り歩くというのは面白い感覚だと改めて思った。

自分はもう若者とは言えない歳になってきているかもしれないが、自分よりも若い世代はこの状況をどのように受け止めているのだろうか。自分の人生の半分は放送といえばテレビやラジオしかない状態で、限られたメディアの中で楽しむ他になかった。だが今の若年層は生まれた時から当たり前のようにYoutubeをはじめとするネット配信の環境があり、初めから好きなコンテンツを選べる状態にあった。彼らからすればテレビはどのように映っているのだろうか。おそらく以前よりもテレビを見ない人は全く見なくなっているだろうし、かといってテレビが蔑ろにされているというわけでもない。おそらくテレビは単に彼らにとって選べるメディアのひとつであるという感覚なのだろう。

もし自分が若者と呼んで良いならばこの感覚は少しわかる。クイズ番組を見るのでもない限りテレビを見るのはせいぜい10分程度だ。ふとテレビをつけて見て、気が変わったらネットの方に意識を戻す。テレビというのが巨大なチャンネルのひとつなのだ。

この多様なメディアの共存は、同時に古さと新しさの混在状態でもあるように感じている。これも奇妙な感覚だ。一方に目をやればかつて慣れ親しんだ世界が相変わらずそこにあり、他方に目をやればこれまで見たことのないような新しい、しかし今では自分の文化的な関心の中心となっている世界が広がっている。

こうした感覚は文化の過渡を生きてきた人間に特有のものかもしれない。今の10代からすればテレビは初めから存在し、しかし関わろうと思わなければ関わる必要のない、自らの関心と不可分となるような文化の内在化を経ていない選択肢のひとつであるように思う(というのは言い過ぎか)。