人生

やっていきましょう

793日目

自分が他者に対して誠実でなければならないと考えれば考えるほど、自分という人間が弱々しく頼りなく映り、結果的に他者から信頼を得られないということをしばしば自覚する。

ここで言う誠実というのは、他者の都合に対して自分の都合をできるだけ合わせようとすることを指している。そうあることが他者の信頼を勝ち取る最善の手段であると自分は信じて止まない。だがそれは自分という人間が他者にとって都合の良い人間であると表明することに等しく、結局のところ男からは意志の無い弱者と見做され、女からは甲斐性の不足を印象づけられる。

自分は思いやりこそ強さであるという信念に囚われているが、強さとは自分という人間の都合を押し通せる権力を持つことである。そして社会的な強さとは、そうした自己の権力が行き渡る場を形成することである。

例えば自分は今まで自分の尊厳を踏み躙られたときに怒るということをしてこなかった。怒ることで関係に亀裂が走り知り合いが減ることを恐れていたからだ。また自分は知り合いとゲームをしている時、自分から今日はやめるということを言い出せなかった。これも相手の都合にできるだけ合わせようとしてのことだ。

面接という場において自分の考えを表明することができなかった。恋愛には恐怖から近づきもしなかった。相手が明らかに間違っていることを言っていても指摘する勇気を持つことができなかった。いずれも自分という人間のエゴを潰し、そのすべてを他者の追従のために捧げていたために起こった。

しかし強さとは、自分の考えや要求を突きつけることができるということである。怒りを感じた時は怒り、都合が悪い時は都合が悪いと言う(当然、それらは自分の良識と照らし合わせた上でのことだ)。そうすることで自分を守ることができる。その結果仮に他者が離れたとしたら、彼らは自分に対する敬意からではなく、自分の都合の良さゆえに近づいてきただけのことであり、離れさせた方がかえって良い。

自分は他者に対して自分の考えを押し付けることが悪いことだと考えている。だが必ずしもそうではないということを自分は数少ない経験から学習した。自分がapexのランクマッチで野良でダイヤまで行けたのは自分の判断を仲間に押し付けてきたからだ。初め自分はそうすることが相手にとって迷惑だと思っていた。しかし他人の中には自分と同じように自らの行動や判断に自信がなく、指示を与えてやった方がかえって動けるという人間も大勢いる。自分の考えを押し付けた方がかえって上手くいく場合もある。

あまりに多くの人間が自分勝手に生きている。そうすることで自分の都合の良い環境を作っている。彼らからは学ぶことも多い。しかし忘れてはならないのは、自分の都合を押し付けるということは、当然他者の都合と衝突することもあるということだ。

その時自分は自らの都合を巡って争うことができるのか、ここが重要であるように思う。不安や恐怖に屈することなく、戦うべきときは戦わなければならない。

自分のこれまでの人生経験と不安定な自我のことを考えると、おそらく誰かに要求をそこまで突きつけることはないだろう。不当な要求も(そこまで)することはないはずだ。しかし自分に負担を感じた際は、自分の身を守るために要求を突きつける必要がある。それらが独りよがりのものにならないとは限らないが、ある程度はそうであって良いのかもしれない。