人生

やっていきましょう

954日目

今では他人と私的に関わることがほとんどない。ネットの知り合いとも最近では疎遠になった。そのため自分の考えを誰かに向けることがない。またその反応から他人にとって自分の考えがどれほど正常なものであるかを確認する術がない。

自分は正常なのか極めて不確かな状態が続いている。自分は自分の思ったことを書き、可能な限り記録に残している。しかしいずれも途方もない自分の妄想ではないのかという疑問は拭えないでいる。

他人と意見を交わすことで自分の認識が整理されると感じる。自分の考えが多少なりとも理解されると、自分の考えはそこまで破綻したものではないということを再確認できる。しかしそうでない場合、自分は破綻しているかもしれないし、そうでないかもしれないという可能性に対して不安を抱くことになる。

その意味で自分は他人を必要としている。問答の対象が自分だけというのは段々と気がおかしくなってくる。自分が信念に生きる人間であるならば、自己問答は信念の強化として表れ、その正誤にかかわらず自身の正当性、同一性を高めるだろう。しかし自分が存在しない人間、虚無に生きる人間にとっては、自分ほど不確かな存在はないのである。問答をすればするほど、自分に対する疑念が強化され、自分が何者か分からなくなってくる。

自分はいずれ近いうちに気がおかしくなるのではないかと思う。そうなる前にはゲームを完成させたい。