人生

やっていきましょう

962日目

精神的に不安定になり今日は開発ができなかった。突然理由もなく気分が沈み、以降何も考えられなくなった。

ここまで精神的に落ち込んだのは数ヶ月ぶりだった。気晴らしに創作から離れ、様々なストレスを試みたが無駄だった。思考の制御を試みないと過去にまで遡った自己否定が始まる。そうならないようどうにか正気を保っている。

こうした最悪の時にありながら、どこか自分を客観視している自分がいる。もし今の精神状態で創作を行なったらどうなるか、意外と面白いものが生まれるかもしれないと考える余裕がある。これは奇妙なことで、自分はたった今まで精神的に苦しく何も考えられないと思っていたばかりなのに、それはそれとしてその状況下に置かれても尚、冷静に判断できているのである。

これは結局のところ感情に没入する自分というものを、自分から乖離した存在として自分が捉えていることを意味する。自分が何か不安になっていても、何か自分が不安を抱いていて混乱しているなと、あるいは雨や雪が降るように自然現象として不安が「発生」していると、どこか他人事のように見てしまう。

自身に関する思考の記録を長年続けてきた弊害なのか、自分という人間が言語によって分断され、別の自分として再構築されているような気がする。要するに自分はもう自分に没入できていないのである。

数年前、不安が精神の大半を占めていたとき、今までの経験からは信じられないほどのリアルを感じていた。それは自分の感情に完全に浸らざるを得ないような、極めて危険な精神状態にあったからだ。あの時初めて自分の無知を悔やみ、自己内省の必要性を心から感じ記録を始めたのだった。

あれから2年半、今となってはもう不安とはひとつの現象、ひとつの状態に過ぎなくなっている。寝不足か、空腹か、季節の変わり目か、室内温度の問題か、あるいは運動不足か、それらが直接の原因ではないにしてもそれらを改善することで緩和できるほど、不安というのは内面の問題ではなく、環境の問題になっている。

今回もまたそのように改善を試みるだろう。それでおそらく不安は解消されるはずだ。しかしそう考えると、自分の代名詞とも言えた不安があっさり消えてしまうことに、若干の虚しさを感じてしまう。治るに越したことはないのだが。