人生

やっていきましょう

992日目

心の平静を何よりも重視すべきである。この数年間の中で得た確信のひとつである。精神の安定を得るためならば大抵のことは犠牲にして構わない。なぜなら自分の失敗の原因の多くは心を乱し物事に集中できていないことに由来するからだ。

例えば先日自分は困難な局面に遭遇した。今まで取り組んだことの無い問題をその場ですぐに対処しなければならなかった。何をしたら良いか分からず自分の精神を乱すには十分だった。

しかしその混乱が自分の判断を更に悪化させるということが分かっていたので、自分は一旦問題を内面から切り離し、心に余裕を持たせ次のことを考えた。

第一に自分は初めての問題に際してすべての情報を瞬時のうちに理解できるわけではない、したがって自身に完璧なパフォーマンスを期待してはならないということ。第二にその上で、少なくとも自分にはある程度理解できるものとそうでないものを峻別し、理解できるものは統合し理解できないものは質問する(調べる)ことができるということ。第三にそうした自分の対処能力の限界を明確に超えた問題に対して、それがただ単に精神を乱す要因になりうるのならば、他人がどう言おうと自分がどう焦ろうと、精神を乱す前に十分距離を取る必要があるということだ。

不安というのは対処すべき問題の全体像が見えない、理解できない時に生じる。したがって初めての問題というのは不安を抱かせる要因で満ち溢れている。しかし先に述べた対処を自分に施すことで、自分の心にある種の余裕が生まれ問題がより鮮明に見えることがある。不安の内にはまったく見えなかったものだ。

心が冷静であれば多少自分の対処能力を超えた問題でも何とか解決できてしまうことがある。信じられないことだが、自分の身に何度か覚えがある。それだけ冷静であることには価値がある。そのため自分の冷静さを守るために自分はその妨げとなるあらゆる障害と戦うことを決めた。誰であれ何であれ、その平静さを侵犯する存在とは対立する。

多くの人間や出来事、現象は自分の不安などお構いなしに様々な問題を投げかけてくる。そして自分はその対処を求められる。それは必ずしも自分の能力で対処できる問題ではない。自分の無理の上に成り立つものもある。この時自分の身や心を案じてくれる存在はどこにもいない。そうであるならば、自分が自分の責任を持って自分を守るべきである。

これを逃げや臆病と勘違いし対処能力を超えたあらゆる問題に対して無理な挑戦を続けてきたからこそ、自分は挫折し心を完全に打ち砕いたのである。自分に不都合な言動をさもこれまで目を背けようとしてきた真理であるかのように盲信することは危険だ。逆張りも時と場合による。自分は自身の無謀さから反省し学んだ。冷静であること、これを自分は今後の信条にする。