人生

やっていきましょう

1006日目

久々に長距離をランニングした。新宿駅から皇居に向かってまっすぐ進み、皇居周辺を一周してから新宿駅まで歩いて戻った。昼ごろから歩き始めたが、帰る頃にはもう日が暮れていた。

しばらく離れていたので東京の空を見るのは久しぶりだった。しかし改めて見てみると、今日自分の見た東京は何も特別なところがないただの東京だった。何か心を揺さぶられたわけでもなく、以前より味気なく、しかし鮮明に東京という街を見ていた自分がいた。

かつて自分の見た東京には二つの印象を抱いていた。ひとつはどこまでも高く聳え立つ、前進と発展の象徴。都心のビル群は上京したての自分に未来への希望を抱かせるのに十分だった。しかし一方で、それらの摩天楼は自らの内面に巣食う不安の象徴でもあった。自分がかつての不安定な生活を振り返った時、必ずと言っていいほど都心に並び立つビル群が想起される。その圧倒的な巨人を前にして、自分は都内をネズミのように彷徨い歩いていた。

しかし今日見た東京はあまりに何もなかった。新宿駅は相変わらず人出が多く、ウクライナ情勢を憂う街頭演説家やミュージシャンが路上で大声を出している。そんなものに見向きもせず、通行人は自分のことを忙しそうにしている。何も変わらない景色だったが、あまりに当たり前の光景だったので拍子抜けした。

おそらく自分は東京を歪んで捉えていた。期待や不安、さまざまな感情を東京という街に投影し、ある時は過大に、ある時は歪んで東京という街を見ていた。しかし今の自分にとって東京は自分の内面を投影する場ではなくなった。今の自分からは完全に切り離されたどこか別の場所、それこそ旅行先のよくある観光地のひとつでしかなかった。

しかしそれゆえに、以前に増して東京という街が鮮明に見えた。言葉ではうまく言い表せないが、精神が安定し、何も期待しなくなった今だからこそ、妙な解釈に揺さぶられることなく都心の数々を見ることができる。おそらく今から自分の出た大学を見たとしても何も感じないだろう。

とはいえランニングは楽しいものだった。感動があまりないとはいえ、新宿駅から皇居まで歩くという試みは新しく、面白いものだった。自分はこれまで新宿駅の近くに新宿御苑があることを知らなかった。新宿駅から歩ける距離に四谷見附橋があることも初めて知った。

またランニング後に食べたハンバーガーがこの世のものとは思えないほどに美味しかった。昼からほとんど何も食べておらず、今日だけで17km近く歩いていて空腹状態にあった。歩く中で色々と考えていたが、最後の食事ですべてが吹き飛んだ。今日はもう何も考えられそうにない。

皇居のランニングはこれからもやっていくと思う。それはかつてイメージを抱いた彷徨い歩くネズミとしてではなく、純粋に自分が楽しむためにランニングをするひとりの人間としてだ。鮮明に見える分、以前とは違った楽しみ方ができると思う。