人生

やっていきましょう

1080日目

コミュニケーションが苦手だと感じるのは、自身の対話能力の問題というよりは主導権の問題なのだと改めて気づいた。

自分が会話をする時の不安は、apexで一切指示を出さずにいる味方に必死で付いていこうとするときの不安に近い。自分に主導権が一切なく、しかし相手が何を求めているかというサインが分からない、そんな憶測と勘に頼りながら失敗を恐れているような状態がコミュニケーションを苦手とさせている一番の要因だ。

健全な会話は主導権のパス回しが上手くできているように思う。相手が話している時は調子を合わせる、自分が話している時は合わせやすい言葉や話題を選ぶ、そうしたやり取りが良い会話を生む。

自分が会話が下手なのは自分のことばかりに意識が向いて話しすぎるか、その傾向を恐れて自分からは一切話せないことによる。この極端さは明らかに経験不足から来ている。

この主導権の問題は根深い。自分は何事も関与せず黙って耐える人生を歩みすぎていた。そのために自分は会話というものを異端審問の壇上に立たされるようなイメージしか持てなかった。

だがそれは正しい認識とは言えない。会話は会話でしかない。いかなる会話であれ、それが成立するかしないかという結果があるだけにすぎない。問題はその結果をもたらしたコミュニケーションがどのように作用していたか、それゆえどのように改善され得るかということである。

会話にしても何にしても、自分が主導権を持つ方が上手く行くということを自覚した方がいい。自分は恥ずかしいことながらapexを始めてようやくそのことに気がついた。自分がチャンピオンを取ったいくつかのケースでは、自分がピンで指示を出しチームの方向性に関与しなければ漁夫の利の嵐に巻き込まれて死んでいたものが多かった。もちろん味方の協力があってのことだが、それにしても自分が関わったことで事態が好転するという経験はやはり主導権の重要性を自覚させる。

会話にしても、自分が積極的に関与した方が面白くなることもあるかもしれない。そう思っていながら失敗を恐れて何も言わないのは方向性の不在を生み、結局自分と相手は関わらない方がいいという結論に至ってしまう。

別に自分は芸人のように口達者ではないし、なりたがっているわけではないが、しかしかつての学生時代を思い返せば、不安ゆえにただひたすら他人に対する沈黙を貫いてきたのは間違っていたと後悔している。自分は他人を不快にさせるリスクを承知で口を開くべきだったのだ。そこで得た結果が、失敗にしろ成功にしろ、次の行動の判断材料になるのだ。