人生

やっていきましょう

1069日目

我慢をすれば状況が好転するという刷り込みがあまりに強すぎるために、状況を打開し自ら道を切り開くという考えには至らない。受け身の果てに報われるとどこかで期待してしまっている。

自分がどれほど苦しみ、どれほど悩み、その結果挫折し前進を恐れるようになり、そのために怖気づいた自分を正当化しようとして受け身の救済を期待するようになったとしても、自分が報われることはない。

我慢は時に有効な手段であることは否定できない。しかし自分の場合、すべての困難を我慢一筋で対処しようとしすぎる。無理な我慢を維持するために自主性と主体性を犠牲にした結果、自分では何もできずどこへも行けない人間になってしまった。

自分の忍耐は、自分の刷り込みを少しずつ、そして確実に解していくために使われるべきだ。自分の忍耐は何から何まで他者に隷従するために使われるべきではなく、自分自身の選択を尊重するために用いられなければならない。

自分は我慢を絶対的な条件としてではなく、選択肢のひとつとして用いる必要がある。この絶対からの独立が自分を束縛から解放する。