人生

やっていきましょう

1071日目

自分がこれまで考えてきたことを、ちょうど別の誰かが同じように考えていることを目にしたことがある。これは偶然だろうか。

自分が度々考えるのは、情報がシェアされるという基盤それ自体が、人々の思考に似たような影響を与えるのではないかということである。Twitterで見たツイートは、自分以外の誰かもまた見ている可能性がある。そのツイートが示唆的であり自分の思考に影響を与えたとしたら、その内容の出どころを忘れた時、自分の思考としてそれは無意識に引き出されることになるだろう。

おそらく本やテレビのあった時代にも同様の傾向があっただろうが、SNSが現れたことでこうした傾向はより顕著になったように思う。普段から浴びるように情報を見せられ、しかも大抵の場合そのツイートは拡散力の高いものに収束することを考えると、多くの人間が似たり寄ったりな考えになってしまっているのではないか。

とはいえ、すべての人が同じ考えになるということはないだろう。起こりうるとすれば、あるコミュニティやクラスタ内に参加する構成員の思考が、ほとんど類似したものになるということである。

自分がapexの情報サイトを見ていた時その片鱗を見ることがあった。サイトのコメント欄には某有名配信者がこう言っていたとか、Twitterで多くの人間が発信した情報とまるで同じことを言う人間が多かった。もっと言えば、コメント欄の悪口からそれに対する茶化し方まで、どこかで誰かが言ったつまらない内容だった。

シェアされる情報に浸り続けるということは、自分から独自性が失われるということだ。その影響は既に自分も受けている。自分の少なくない発想がいくつかの身近な情報の引用で成り立っている。記録によって自分の思考を守ろうとしているが、結局どこかで見た内容を繰り返しているだけであり、あるいは自分自身を引用し続けることで自分自身に似た発言しかできなくなってしまっている。

自分の思考にはある種の多様性が必要だと考える。それは触れる情報源をひとつに絞らず、幅と広さを持ってあらゆる情報に触れようということである。