人生

やっていきましょう

1127日目

陰謀論者を冷笑する一方で、apexの味方がデュオだのガキだのスイッチだの、敵がフルパだのコンバーターだのと文句を言っている自分を見ると所詮同じ穴のムジナだと思い知る。結局のところ、思い込みと事実の区別ができていないのである。

味方をカバーしない雑魚だと断定したとしても、味方にはカバーできなかった理由があるかもしれない。なぜなら自分が味方をカバーできなかった時がそうだったからだ。他の理由だってあるかもしれない。

事実は自分が分かっている以上に複雑である。様々な事情や都合が絡んでそこに結果として現れる。その複雑さに対する想像力を持たず、自分都合の不満を感情的に爆発させることしかできないから自分は愚かなのだ。

そうと分かっていながら、味方は雑魚ばかりだという愚痴やデュオは無能だという暴言には胸がスカッとする自分がいる。まさしく自分がそう思っていたことだからだ。

しかしこれこそ、自分が陰謀論者の偏向を持ち合わせている証左である。自分の怒りの矛先を貶す言動に快楽を感じていると自分の中でそうだという思い込みが強くなって行く。それが自分の正義を確信させると社会活動家になり、真理を自覚させると陰謀論者や宗教家になる。

快楽に浸り続けると苦しいことを避けるようになる。はたしてそれが本当に正しいことなのか、自分は悪い行動をしていなかったか。自分を否定してこれらを批判的に考えることは苦痛である。誰だってそんなことは考えたくはない。それでいつしか吟味することを忘れて、自分の感情が報われる言説ばかりを反復するだけになる。

自分がそう思った、周りも正しいと言っている、だから正しいという単純な理解力で世の中を見渡している人間は自分を含め数多くいる。それが危ういと今では気づけているが、いずれそのことに疑問を抱かなくなる日が来るかもしれない。そうなった時、自分はどうなるだろうか。

おそらく自分は一部で既にそうなっている。自分が他人に対して抱く嫌悪に段々と抗えなくなっている。そうなる前に他人に対する期待を捨てよというのが自分の考えである。他人とは分かり合えないのだから、過度に期待したり怒ったりするのではなく、適度な距離で関わるだけにすれば良い。

味方に過度に怒りを感じるのは、実は自分が味方に期待しすぎているからではないのか。同様に知人に対して失望を抱くのは、他人が自分のことを分かってくれると思い込んでいるからではないのか。自分は思い込みを極力排し常に冷静さを保ち、他者との不和に耐えるだけの精神力を持つ必要がある。