人生

やっていきましょう

1167日目

富士山を登る計画を立てた。富士スバルラインから吉田ルートを通り、山頂を目指すのである。早朝に出て日帰りで帰ってくる予定だ。出発は9月3日になると思う。

今まで自分は富士山に登ったことはない。しかしいくつかの山は登ったことがある。その経験があるから、日帰りでも行けるだろうと考えている。本来は山小屋に泊まって余裕をもって下山をするのが常である。しかし登山ルートの解説を調べたところ、早朝から一般的な歩行速度で登り始めれば日没までには十分間に合うということが分かった。そのため多少無理があるだろうが、日帰りで登山をすることに決めた。

久々の登山なので道具は何を持って行けばいいか分からなかった。しかし幸いなことに富士山の公式サイトにすべて乗っていたので、適切な準備を行うことができた。こうした準備をしていると、大学時代を思い出す。あの時の自分も同じように荷物をザックに詰めて、山なり沢なり行ったものである。

しかし今現在当時と比べてはじめてわかるのだが、明らかに自分は自分の身に起こっていることの現実感が乏しい人間なのだと実感できるのである。というのも、この準備をしている時、ザックに詰め込んでいるいくつかの物が【何のために】用いられるものであるか、ということを当時も今も十分に理解しきれていないからだ。経験不足から来る「何となくうまくいくだろう」という楽観が自分の中にはある。そしてそれが大なり小なり失敗と後悔という形で終わったにもかかわらず、そのことを自分はすっかり忘れてしまうのである。

一般的に言われていることだが、山登りは準備の段階から既に始まっているのである。準備というのは、何か問題があった時のことを予め予想して、こうしておこうと策を打つことでもある。もちろんリストに書かれている装備一式を詰め込むだけでもいいかもしれないが、なぜ自分がそこに詰め込んでいるかくらいは理解した方がいい。

今日そのことに危機感を覚えたのは、実は登る数日前までに準備を全くしてこなかったからだ。本当に自分が登るのだという当事者意識の欠如、それでいながらゲーム感覚で登ろうとする浅はかさ、それが自分の命とりになるということを自分は強く実感しなければならない。