歩くということ、走るということ(あるいは山に登るということ)が他の趣味と一線を画すのは、それが自分にとって外の世界に存在する上での肩書きであるということだ。自分が歩き走るからこそ自分の存在は市民権を得ており、さもなければ自分は不審者以外の何者でもなくなるだろう。ゲーマーは外の世界でどのように振る舞えばいいというのか。
ハンチョウの新刊読んでるけどこれ本当におっさんの業だよなあ。俺は子供と一緒に居るから承認を与えられてモブになれてるという認識がある。 pic.twitter.com/IuFuqLw2LH
— トモノ (@t_tomono) 2023年7月23日
このツイートを見てそんなことを思った。自分という人間が社会の中で不信感を持たれないためにどう存在すべきか。自分はこの歩く走る登るこそ、外の世界に対するパスポートであると自覚した。好きでたまらないというわけではない。だが決して無理はなく、その関心に偽りはない。