人生

やっていきましょう

久々に正気を取り戻した。それまでの自分は少し呆けていた。

文字を吐き出すという習慣が、自分の思考を鈍らせることがある。思考と連想の区別はつくようになってきたが、実際に書いているときは何も考えておらず、大抵思いつきやすい話題を引き出して勝手に連想しているだけである。

自分は長らく自明というものを求めてきたが、自明ゆえに自身の置かれた状況が見えなくなることがある。この1.2年がそうだった。何でも自明であることが優れているというわけではない。

自分が思考を稼働させるには、その対象となる目的を必要とする。できることならそれは不安や焦燥感に駆られてではなく、自分の意志と意欲に委ねられた、制御可能なものでありたいものである。

大層なことは何も言っていない。日々の生活のことでもいいし、ゲーム開発のことでもいい。要するに自明によって満たされた惰性から一歩外に出て、簡単な思考を行えればいい。手始めにゲーム開発について考えてみる。

現在自分のゲーム開発は行き詰っている。技術の不足、インスピレーションの鈍化、原因は何でもいいが、とにかくひとつのシーンの開発が上手く行かない。そうなってしまうのは、自分がそれまで思考を働かせていなかったからだ。何が問題かを言語化せず、何となく気分の悪い箇所をいじっていたにすぎない。

そこで簡単に状況を説明してみる。現在作っているシーンはいわば中ボス戦といったもので、この戦いの末に物語は更なる進展を見せる。物語は3つの異なる陣営が、それぞれの思惑のもとに動き、ついにひとつの場で衝突するに至った。優位に立ちたい一陣営が強力な怪物を召喚し、ひとつの陣営はそれを見て退散する道を選ぶ。ひとつ残された主人公の陣営はこの怪物と一騎打ちする。

何度見てもこのシーンは薄っぺらく感じる。ただ単に3つの陣営が異なっているというだけで気まぐれに居合わせているかのようだ。怪物を召喚する陣営はなぜ召喚しなければならなかったのか。別の異なる陣営はなぜ戦わずに逃げたのか。そのあたりの説得力が足らず、何となく戦い、何となく去るという演出になっている。

キャラクターの行動やその場面での出来事が、自然に納得のいくものでなければならない。ただしそれを突き詰めたものをそのまま表現すると説明的になってしまう。そうではなく、説明を敢えて控え、キャラクターの行動がそのまま説明になるように演出を行わなければならない。

今日はこの問題について考えながら作る。後日また振り返る。