人生

やっていきましょう

物事を取り組むという姿勢を意識的に呼び起こさなければ何かを実行するという気にならない。当たり前かもしれないがこのことを最近忘れていた。

自分の中で無気力、自暴自棄が常識となりつつある。何も考えずに生きていると、何もせず、気ままに過ごすようになってしまう。そうした状況に甘んじる一方で危機感もあって、どうすればいいか悩んでいたが、とにかく自分の意識を呼び起こす習慣をつけた方がいいということになった。

確かに単発的に意識を向けることはできる。このままではいけないと思い、何かを行動する。しかしそれが成功したことで満足してしまい、再び無意識の世界に戻ってしまう。だから意識を習慣化することが重要なのだ。

自分が不安を抱いたとき、反射的に不安を対象化して具体的な問題として捉えることができるようになったのは、そうすることが習慣として身に付いたからである。これが単発の思い付きであったならば、1度は不安を退けることに成功するかもしれないが、おそらく長期に渡って不安とうまくつきあうことはできなかった。

意欲するということ、何か新しいことに取り組もうとすること、それらは心を壊していない人間であれば容易に挑戦できることだろう。しかし自分のような人間は、それらを意識という補助輪がなければ根付かせることが難しい。不安症で失敗を恐れヤケになってすべてを投げ出した自分にとって、意欲や好奇心は自明のことではない。しかしそれらができる人間が自分と異なる次元の生物であるというとそうでもない。結局のところ、彼らは物事を意欲するということを習慣によって維持・獲得している。

今日からひとつ自分の中で何かの目論見を意識をすることを習慣にすることを決めた。3年前、同じことをしていた時の自分を振り返ると恥ずかしく思うが、それでも当時はその習慣によって世界の一部が自分のものになった感覚があった。再び同じことを繰り返そうと思う。