人生

やっていきましょう

文字にすると違和感がない言葉が、声に出した途端に違和感を覚える。この問題が長年自分の関心にあった。

以前AIに自分の言葉を読ませたことがあった。確かに奇妙だった。言葉自体は理解できてもイメージが喚起されない。何かを語っているようで語っていない。そんな風に聞こえる。

自分は文章を書く時にそれが可読性の高い文章であるかどうかだけを考えている。しかし奇妙なことに読みやすい文章を考えている自分が、実際には聞こえの悪い文章を作っている。

ひとつの可能性として情報量に問題があるのではないか。これまで誤解していたことだが、会話というのは自分が思う以上に情報量が少ない。元の情報を水増ししたり言い換えたりしているにすぎない。自分の文章は情報を無理やり圧縮した言葉が多い。だから情報量が多くなり、会話としては違和感がある。

なぜそうなるのか。それはもうひとつの可能性に関連している。

つまり自分は、暗黙の了解に注意を払いすぎる文章を書いてしまう。例えば自分が見る限り、普通の人間はその少ない情報量の話題を少ない情報のまま理解できている。互いに常識や自明の前提といった暗黙の了解を共有しており、敢えて言葉に表さなくとも相手の意図が分かるからだ。

自分は違う。これまで自分は相手の前提が分からないという異邦の前提にあった。だから自分の考えをより相手に理解してもらおうと、敢えて自分の前提を言語化する傾向にある。それが言葉の過剰を生み、たどたどしく聞こえの悪い言葉になって表れてくる。

この違和感を打ち消すには、勇気を出して自明の前提を語らないということが必要になるのではないか。自分はこれまでどれほど可読性を高めても前提に対する言及を意識し続けた。しかしそれが違和感の種であるとしたら、試しに前提に対する言及を減らしてみても良いのではないか。

実生活で試す勇気はないが、ゲームのセリフでは試すことができる。これまで自分のゲームには、自他の前提を明言する人物しかいなかったが、その結果敵も味方も【理解のある人間】ばかりになってしまった。ここで敢えて前提を語らない、自分の価値観の自明さを素朴に信じているNPCなどを配置すると、キャラクターの個性に幅が生まれたり、異なる人格同士の衝突を描けるということがわかった。

自分は他者と前提が違うということに恐怖心を抱き、その不安に駆られながら過剰に言及する性格になってしまっていた。しかしそれは大抵の場合見聞きする言葉のバランスとは大きくかけ離れてしまっている。それが違和感の正体である。読みやすい文章を書こうとしているのも、実際はこの前提の食い違いという不安を根源としており、その言葉の数がそのまま過剰に自己を防衛しようとしている自身の動機を明らかにしている。

自分に必要なのは不安に駆られず自分の意見と考えに自信を持ち、自分の言葉としてそれを語ることである。