人生

やっていきましょう

最近追加されたMMORPGの新しいミニゲームに挑戦した。何も持たない状態で広大なフィールドに放り出され、そこから資源を集めて武器や装備、道具を整えるというゲームである。定期的に訪れるレイドから本拠地を防衛し、最終的にボスを倒せばクリアとなる。

このゲームは自分の長いMMORPG歴の中で最も難しい部類のゲームだったと断言できる。レイドは3日ごとに来るのだがそれまでの間に手を休める暇がない。資源の必要数から逆算したチャートを手元に置いて常に課題を処理していなければ間に合わない。一度でも迷いがあるとそれだけ開発が遅れ、仮に1つ目のレイドを突破できても次のレイドに向けての開発が困難になる(加えてこのミニゲームは異常に処理が重かった。改善されるまでは移動をすることすら難しかった)。

そしてこのゲームを更に困難なものにしていたのは、プレー回数の上限である。このゲームは1日に10回までしか挑戦することができない。したがって試行錯誤のために失敗前提で取り組むということが不可能である。このゲームは資源を加工して道具や設備を作るということが前提となるが、それらの必要数をゲームに触れてみるまで知ることができない。したがってゲームクリアを目標とするために何度も挑戦する必要があるのだが、この回数制限のためにものを試す暇がない。

初めは自力で頑張ろうとしていたが、ゲームは動かず不具合で強制終了が多発、それに加えて試行回数は減るばかりで嫌になった。そこでようやくwikiの情報を調べて第三者の用意したチャートを模倣するというやり方に変えた。これで自分が何をすべきかがすべてわかった。

自分はこのゲームで型を学習するということに徹した。自分のオリジナルにこだわることはせず、wikiyoutubeに書かれている手順通りにこなすことだけを考えた。自分が最も苦手とし、受け入れがたいことだった。しかしそうすることで初めて見えてくるものがある。

型は自分にとりあえず何をすべきかを教えてくれる。オリジナルチャートを考える時間や手間を省き、ただ単にチャートを再現することだけを考えればよくなる。これで問題はシンプルになった。今まで自分は様々な行動の様々な可能性を考えて頭がパンクしていた。しかし前例という型があることで、自分は自分の動作が理想と一致しているかどうかだけを考えればよくなった。それによって自分の思考には驚くべきほどの余裕が生まれた。たしかに制限時間がある中でひとつひとつ適格に再現するということは並大抵のことではないが、多くの人間が学習によって得ているものというのはこうしたことなのかと改めて実感することができた。

自分のような哲学崩れは自らのオリジナルチャートを描こうとする。しかしそこから適切な解法を見出すのは余程の偶然か忍耐と労力を必要とする。大半はそこで失敗する。だからそこにこだわるよりも成功例を参照して模倣する方が賢い。そのことを自分はこのゲームで気づかされた。自分は学習という言葉の意味を理解していなかった。賢い人間は便利だと思うものをいつでも自分から引き出せるようにして、簡単にゴールへとたどり着いてしまう。自分は余計なことばかりを考えるからその重さに耐えきれず身動きが取れなくなってしまう。

現実でも自分は似たようなトラブルに陥ってはいないか。すべてを自己流にこだわるあまり、考えないで済むことまで考えてしまっている。その労力の浪費ゆえに自分の努力はいつも空回りしているのではないか。もしそうであるならば、自分は他の人間のやり方から学んで自分の糧にしたほうがいい。

 

ところで自分はこのゲームで何がうまくいかなかったのか。

うまくいかなかったのは、チャートに書かれていない部分で自分が失敗していたことだ。どういうわけか満腹度があっという間に底を尽きるので最初のレイドまでに瀕死の状態になるということだった。自分は空腹度が3割を切ったあたりから焦りはじめ食材を探しに回るがどこにも見当たらず、そのまま夜が明けてレイドで死ぬということがほとんど毎回起こった。wikiには序盤の食糧は道中の草むらから取るとだけ書いてあり、自分はその文言通りにこなしていたのに失敗していた。

後になって分かったが、自分は適切な食糧接種を行っていなかった。満腹度が3割切ってから食料を探すのではなく、常に食糧を草むらから得て8割9割をキープするということが適切なやり方だった。チャートに書かれている必要な資源を方々から集めながら、草むらがあればすぐに伐採し食糧を得るくらいがちょうどよかった。そんなことはwikiには書いてなかったが、動画を見れば確かにそのように動いていた。この問題を解決できてからはクリアまでそう長くはなかった。