人生

やっていきましょう

ある種の人間の文章を見ると、そこに書かれている言葉がどこかで聞いたようなものしかないことがある。これは形式ばった文章というよりは誰かのツイートや、まとめブログのコメントでよく見かける。

サークルに属していた時、似たような文章を書いたことがある。何か1年の抱負を書けと言われたから、そのサークルで共有されていたビジョンをそのまま文章化した。人よりは字数を稼いだが、中身を見れば面白みがまるでなかった。自分の感想というよりは、サークル内での争点をまとめただけだったように思う。表現というよりは整理に近い。以前自分の文章が教科書みたいだと言われたのを思い出した。

結局自分がないのである。サークルにかける自分の思いがなく、いつも日和見な人間だった。今の自分なら内面の葛藤を動機に繋げて書き殴り、俺はこれをやってみせると言えただろう。当時の自分はそれをする勇気も実力もなかった。

内面に余裕がないと、こんなことすら出来なくなる。常に緊張していて、自分を表現することができなくなってしまう。そんなことでいいのかと思う。無理をして緊張に耐えたところで、不安を乗り越えたところで、当時の文章を見ると驚くほどつまらない。視野が狭く、保身に走っていて、当たり障りのないことしか書いてない。そんな文章はやはりつまらないだろう。