人生

やっていきましょう

人生プレイというものがある。大抵のゲームはゲームオーバーになった後にコンティニューで復活できるが、人生プレイでは人生同様、一度死んでしまったらそのデータではもう復活することはできない。こうした制約を自らに課してゲーム体験に緊張感を持たせる遊び方を人生プレイという。

この縛りによってポケットモンスターのクリアを目指すという配信者がいた。この配信における制約は、一度手持ちのポケモンが出たらメンバーから外して逃す、進化も含め一度仲間にしたポケモンは新たに捕まえられない、というものだった。

たまたまtwitchのおすすめ欄に出ていた配信だが、よく知っている配信者でライブ視聴者は1万人いた。自分が見た時はポケモンリーグのチャンピオン戦、つまりラスボスとの戦いだった。この時点で手持ちは残り2体、敗北は濃厚であり、強化アイテムで粘るも最後には倒されてしまった。

この時点で手持ちの主力ポケモンはすべて失われ、残されたのは10レベルのポケモンだけだった。まだ再起のチャンスがある。しかしそれはポケモンリーグから抜け出せればの話だった。

ポケモンにはひでんマシンを通じて体得するスキルでしか突破できない障害物がある。この技は特定のタイプのポケモンしか覚えることができない。「そらをとぶ」があれば簡単に抜け出せるが、それを覚えられるポケモンが存在しない。そうなると「なみのり」「たきのぼり」「ロッククライム」を覚える他にない。上記の二つは釣竿で釣った魚でどうにかなったが、「ロッククライム」を覚えられるポケモンチャンピオンロードにはいなかった。そこでリセットを決行することになった。

この時点でのプレイ時間を見たら200時間だった。配信者はここまで2週間かかったと言った。それがすべて消える。クリア手前でやり直すことになる。その一部始終をずっと画面越しに眺めていた。

人生プレイと言っても、ここまでただ単にレベルを上げてきたわけではない。道中で捕まえたポケモンひとつひとつに期待を込めた名前をつけ、ともに前途を歩み、立ちはだかる難敵に次々と仲間が倒されていくなか、新たな仲間と共に死体の山を掻き分けて逆境を突破してきた。自分の身の回りの出来事として、出会いがあり、別れがあった。遺影に飾られた60体のポケモンたちは、それぞれに思い入れがあったはずだ。

これらが人生プレイでなければ、そのすべてがゲーム体験を彩るただの演出でしかなかっただろう。しかしひとつの命、一期一会という制約があると、ポケモンというゲームがまったく別のものに見えてくる。

道中に出会うポケモンも、死んで行ったポケモンたちも、互いのポケモンの命をかけて戦うトレーナー戦も、そのすべてがかけがえのないものになる。その輝きは、死んだら無になるという前提への激しい抵抗にこそよく表れている。

自分はこの配信を見て、絶対に倒れるわけにはいかないと必死になっていた過去を思い出した。結局この配信と同様、自分は挫折し、身は投げずとも精神は死んでしまった。以来何事も努力をするということができなくなったが、確かにそれまでは全力で生きようとしていたのである。この全力さ、敗北への激しい抵抗にのみ得られる感情がある。

配信者はリセットを決断した。200時間をもう一度やり直すつもりでいる。その覚悟が素晴らしい。過去と決別して新たに歩み出そうとするその勇気は、自分への強い励みになる。