人生

やっていきましょう

ここまで精神が不安定になっても明らかな異常が見られないのは、自分が十分な睡眠と食事をとっているからだ。つまり冷静になろうと思えばいつでもなれる。そのことに気づいてから急に笑いがこみあげてきて、不安になることをやめた。

この際はっきりしておく。自分は自殺もしないしアカウントも消さない。ブログも続ける。ゲーム開発もやめない。ただ唯一、今回の衝動で得た自分の人生に変化をもたらそうとする意志だけは忘れない。

今回の錯乱状態が起こった原因について考える。第一に自身のゲーム開発と向き合うことに耐えられなかった。簡単に言えば、自分のゲームは面白くないのではないかと考えてしまった。それから途方もない時間の浪費を思い絶望した。数日手をつけないでいる中、不安はどんどん広がっていった。

第二に、知り合いの人生に様々な変化があったということだ。彼らは良くも悪くも変化しておりひとつのところにとどまっていない。色んな人間が色んな変化をその身に受けている。そのことに耐えられなかった。結婚した、資格を得た、夢がかなった、金が貯まった、そうした情報がなぜかここ数日一気に流れてきたので、相も変わらずネットゲームでデイリークエストをしている(それに一種の満足さえ覚えている)自分に絶望したのだ。

それぞれの原因について今の自分の考えを言う。第一の原因については、とにかくゲームを開いて触れてみると良いだろう。ずっと逃げているから不安が大きく見える。実際開発ソフトを開いてみれば、何が原因で行き詰っているかが明白になる。原因が明白になるということはそれだけシンプルになる。不安も少なくなるだろう。

第二の原因については、自分もまた変化しているという事実を直視することだ。この1年はおそらくこの4年の間で最も自分が変化した年だ。自分が富士山に行き負傷した外国人を助けたということ、そのまま山小屋に行って対価を得たこと、そのふたつが自分にとって僅かな自信をもたらした。つまり、これまで0に近いほどの自尊心しかなかった自分が初めて1の自信を得たことになる。これは冷笑的にみれば些細なことだが、寄り添って考えればとんでもない変化だと思う。

どちらの原因も、他者から見られるということを根底にしている気がする。他人から見てつまらないゲーム、他人からみてどうしようもない人生に対する絶望。しかし自分は、自分よりも恵まれている(もしくは本人がそう思い込んでいる)人間を恣意的に選んでいるのではないか。今まさに不条理にも死んでいく人間たち、あるいはそれに類するストレスを抱えて解決できない同類のことを自分は考えているのか。自分が今置かれている状況が偶然にも維持されているという幸福に目を向けたことがあるのか。人間に起こる不運と幸運を等しく眺められるようになれば、他者の視点という妄想が全くの無意味であるということに気づけるだろう。