人生

やっていきましょう

大学というのがひとつの児童文学のようなもので、4年間本の中の世界にいたという感覚だった。どういうわけか知らないが自分は東京にいて、その大学にいたということも奇妙な話だが、そんなおとぎ話の世界から時々流れてきたエリオットだのコールリッジだのイェイツといった奇妙な人物が、今でもぼんやりと自分の頭の中にまだ断片として残っているというのも奇妙な話である。

それは現実と妄想を舞台にしたひと繋がりの空想体験だった。寮があり、道があり、最寄りの駅があり、大学までに乗る電車があり、行きつけのラーメン屋があり、キャンパスがあり、試験があり単位があるということと、『真昼の暗黒』や『虚ろな人々』の世界があったということはほとんど同じ次元の話だった。現実と空想が融合し自分が幻想に包まれていたのは、およそ不眠と乱れた食生活によるものだろうが、自分が人と関わらず(関われず)次第に正気を失い、正常な判断ができなくなっていたことが原因でもある。

英文学という小さな村があり、そこによく分からないことを異国の言葉で書き連ねる人間がたくさんいる。彼らの言葉が書かれたプリントを断片的に読んでいると、それがいつしか自分の世界の一部になっている。その感覚のまま自分はゲームの世界に足を踏み入れていて、気がついたら新宿のビルの間をアンビエントをかけながらただ呆然と歩いている。自分は助けてくれと頭の中で反芻しながら、どういうわけか離島や山の中にいて部員が薪を燃やして米を炊いている姿を眺めていた。しかし彼らの存在は小説の作り手、詩人、その中の登場人物と同じ存在だった。サークルの部員と『ヴェニスの商人』のシャイロックには本質的な違いはなかった。フィクションの中に無数のフィクションがあり、自分はその中を行き来しながら出口の見えない迷宮を彷徨っていた。

これだけの神秘体験をしながら、自分が完全に狂ってしまわなかったのも奇妙だ。それはやはり自分が不安になりながらも現実との距離感を維持しようと努め、文章による言語化と整理を続けていたからだろうが、この程度の妄想ではびくともしないほどに管理され維持されている圧倒的な現実の強さのおかげでもある。

現実は強い。自分が精神退行を引き起こし大学に通う児童となっていた時、自分の見ていない裏で世界は機能し続けていた。自分の不安が循環している間も電車はダイヤグラムに従って運行し、事故も起こらず、バスは目的地についていた。自分の苦しみや悲しみにかかわらず、大学はカリキュラムに基づいて試験を与え、適切なものにはA+の評価を与えていた。自分が宗教勧誘に狙われている間も、大学のキャンパスは自分の理解を超えた計画と厳密さによって自分の目の前に現れていた。

自分は望むならばすぐに現実にアクセスできる環境にいた。完成に妄想の世界に囚われていたわけではない。妄想とはまったく別のロジックで動いている世界があり、それが自分の正気を守っていた。自分は明晰夢のような感覚にあった。

また自分の妄想が最高潮に達し、ついに現実と相対し思いっきりぶん殴られて血を流し、自分の内面の中の妄想がいかに陳腐で脆いものであったかを悟った時、しかし尚現実は存在して世界が崩壊することはなかった。この奇跡に自分は瀕死の状態ながら感動していたものだ。

自分はもう妄想の世界の住人ではない。この数年間で自分の認識を洗練させ、ある程度現実との距離感を正しく掴めるようになってきた(つまり、自分が見ていた空想世界は不注意によって朧げに映り、不安によってイメージの連鎖を引き起こしていたにすぎず、これらの状態を正常な人間のそれと近いものにすれば緩和される程度のものであるということが自分には分かったということだ)。

それでもなお自分は妄想の世界の中に取り残されたひとりの異邦人という感覚は度々蘇ってくる。