人生

やっていきましょう

考えれば考えるほど、第四章のストーリーが奇怪に思える。話の展開を繋いでいく個々のシーンが、ひとつの物語ではなく様々な脱線の寄せ集めのように感じるのだ。

第四章の制作にかけた1年と半年は、必ずしも明確なゴールに向かって突き進んできたわけではない。すべてがその日の思いつきであり、その思いつきが次の思いつきに繋がるように開かれた形で堆積した結果である。

するとどうなるか。段々とその全体性が揺らいでくる。確かにひとつの展開の前後では問題がないかもしれない。しかし100の展開を圧縮し、ひとつの物語にしようとしたら、それは極めて曖昧なものになる。

32回目の思いつきと74回目の思いつきが、互いに矛盾を引き起こしているとき、どちらかを修正して切り捨てなければならない。しかしそのいずれかを修正した場合、13回目と91回目の思いつきとの間に展開上の矛盾を引き起こす可能性がある。

こうした矛盾の連鎖に陥ったとき、一度全体を見直して個々の思いつきの遺物を拾い集め一気にリワークしようという話になる。なぜなら物語はひとつの大きな流れのなかで行われなければ全体性を見失うからだ。

それが今日起こった。第四章後半部の展開を悩んでいた時、前半部の展開を生かしたシーンを作ろうと考えた。しかし肝心の前半部はまったくバラバラな思いつきの堆積によって成り立っており、それが奇跡的に安定を得ていたような状態であった。ここから合理的な伏線や展開の正当性を得るには不十分であり、ひとつの展開を直すと別の展開と噛み合わなくなる問題が生じた。

そこでリワークを実行した。普段は355mlのモンスターエナジーを今回は500mlのものにした。基本的な展開の流れは変えず、個々のシーンが説得力を持って次に展開されることを目指した。そして何より面白さを追求しようと考えた。

まだ原案の段階だが、リワークは概ね成功した。以前よりも纏まりのある展開になった。それでいて前より面白くなった。そして前半部で纏めたストーリーが後半部で思わぬ展開の可能性を切り拓き、自分の行き詰まりが解消された。そこから疲労で何も考えられなくなったが、前半部はほぼ完璧な仕上がりだと言える。

面白い展開を作ることにも成功した。どういうわけか連想の数々が思わぬ軌道を描き、向かうべき結末に向けて綺麗に収まった。何もかもが自分の理解を超えていた。

作っていて思ったが、面白さには勢いが大事だった。散々悩んで思いついたネタはどれも悲惨なものだ。迷いが染み付いていて前述したような全体性・方向性の喪失、曖昧さを残す。そんな悩みを振り払い、自分の許容範囲を超えたしょうもないネタを挟んでみるといい。実に勢いのある生きた笑いが現れてくる。