人生

やっていきましょう

誰とでも良好な関係を築ける人間が存在する。彼らにとって他人は憎悪や警戒の対象ではない。他人に興味があって近づいているのだ。自分の常識では考えられないことだ。

おそらくそのような関係が本来のあるべき姿なのだろう。だが自分のような人間不信で被害妄想に陥った異常者にはこうした信頼関係を築くということが難しい。自分は対人面においてその無理を貫くと決意してきたから、この感情の暴走を表に出すということはほとんどなかった。

しかし自分の心には確かに他人に対する憎悪や警戒がある。そういった感情を抱かずに済んでいる恵まれた人間たちへの嫉妬に苛まれる。この感情を俯瞰してみる知性と努力がなければ自分は今頃犯罪者になっていたと思う。自分が必要とされていないということ、自分に価値がないということに耐えられず、存在しない敵に怒り苦しみ、最後には狂うことになる。

自分の最も強い根源的な欲求は誰かと分かり合いたいということだ。厳密に言えば、自分の話していることが相手に正しく伝わり、相手の話していることが自分に正しく理解されることを望んでいた。これが満たされず、また多くの板挟みによって阻害されている現状が、自分の精神を不安定なものにしている。これがおそらくすべての問題の原因だろう。

前提として過去のトラウマがあり、それが自分の他者に対する認識を歪めている。他人は自分のことしか話さない。こちらのことをまったく考えない。話を理解しない。そもそも聞いていない。そうした色眼鏡で他人を見るようになった。だから他人は誰も信用できないということになる。

前提についてはこれまで何度も書いている。小さい頃から周りは相手の話を聞かない、正常な受け答えをしない人間ばかりであり、以来自分のコミュニケーションに完全に自信が持てなくなった。自分の話は相手に通じているのか?という疑問が常に頭の中に巣食うことになった。同時に自分は相手のことを理解しているのか、言葉が十分伝えられているのか分からなくなった。

果たして自分の努力不足か?それとも相手の認識不足か?答えが分からないので自分はできるだけ相手に理解しやすい言葉を選ぶ努力を続けた。しかし自分はその努力に対する信頼よりも、その価値を貶める悪い妄想ばかりを抱くことになる。これだけ努力して無理ならば相手が悪いと思うことができず、相手を説得できない自分の言葉の方に問題があると考えてしまった。だがそれも確信的ではなく、結局答えは曖昧なままで状況は何も変わらない。

自分にとって最も容易なことは、相手が理解しようとしまいと自分の話したいことを勝手に話すということだ。おそらくこれを相手に向け続ければ自分の中のわだかまりは消化されていくだろう。しかしこれこそ、自分が小さい頃から友達にしろ家族にしろ自分に向けてきた行為なのだ。彼らと同じように振る舞うことで自分は楽になるだろうが、誰かがまた苦しむことになる。

そんなことはさせないという思いが自分の中にある。しかしそれにより、自分はますます正気を失っていく。第一に自分の話が相手に伝わっていないかもしれないという妄想がある。第二に相手の話を自分が理解できていないかもしれないという妄想がある。そしてここにきて、自分が相手に向かって自己中心的に話をしてしまっているかもしれないという妄想が重なる。それが怒りや不安という形になって表れてくる。更にはそんなことを悩まずに済んでいる人間が憎たらしいという感情が割り込んでくる。頭の中は妄想と負の感情でかき乱されている。

ところでこうした混乱に対して自分は何をしてきたのか。数年前にひとまずこうした暴走を止めようという道を選んだ。そして一旦問題を整理し自分に何ができるかを考えた。

まず自分の状態を自覚することから始めた。なんとなく軽く意識を向けてみるということではなく、自分の心の状態を自分の言葉で説明し理解できる状態にまでもっていくということだ。自分が不安になっていたら不安になっていると自覚してみる。その対象が分かるなら対象について記述してみる。それらは言葉によって明確な像として現れてくる。これが見えてくると自分が不安を抱いていたものの正体が分かり安心する。

次にその不安が部分的に対処可能な問題であるかどうかを考えた。不安の対象は大抵の場合そのすべてを取り除くことができない。だから問題を細分化し、対処可能な部分にのみ焦点を当てて事態の改善を図る。例えば過去のトラウマは変えることができない。しかし【相手の無理解や自己中心的なふるまいによって、自分の意見や感情がなかったことにされて傷ついた】という事例に対しては対処できる。そのような人間であると分かれば距離を取る。相手に無視されたとしても、自分の意見や感情が存在しないわけではないということを自覚する。あるいは他人は変えられないと認めるなど。自分の心の持ち様や行動について部分的に対処可能なものがいくつかあり、それらを修正していくことで少なくとも以前よりは改善したということができる。

そして対処不能な問題については諦めることを意識した。対処不能な問題をいくら考えても無駄であり、早い段階で切り上げた方が得ということになる。当然それが正しいとは言い切れないが、少なくとも対処不能な問題でメンタルを病んでいるのであれば、さっさと切り上げる方が心の負担を軽減できる。素早く意識し反射的に断念する。

最後に特に重要なことだが、思考や行動の中心に自分を置くことにした。他人に悪く思われそうだとか、誤解されそうだとか思うことが自分の板挟みを増やす結果に繋がる。自分が何を望み、何を行動するのかを自分で決める。それはこれまでの経緯からすれば途方もなく難しいことのように思えるが、少しずつ自分の行動可能範囲を増やしていく努力をする。