人生

やっていきましょう

感情的に怒りを爆発させている人間に、いやあなたの言っていることはこの点に関しては間違っていますよ、と指摘する人間がいる。

もし自分が怒りを爆発させている側の人間で、誰かにこちらの論点の間違いを指摘されたらどうなると考えられるか。

自分は感情的になっていて怒りを爆発させている。その怒りを正当化させる言い分を持っている。それを横から入り込んで、その正当化は不当だと指摘される。

自分の場合、それが怒りを正当化させている言い分に関するものならば、自分の感情はひとまず置いておき指摘の内容を吟味しようとする。だが感情的に見れば、自分の「もっともな」怒りが小賢しくも理屈でねじ伏せられることを不当に感じるだろう。

自分に理屈をこねる能力がなかったら、この不当な感情を無条件に肯定していただろう。あるいはその自覚すら無かっただろう。そして自らの抱く感情はどこまでも正当化されなければならないと感じてしまうだろう。また、自分の感情を正当化させる言説は、何であれ正しいものだと判断してしまうだろう。

自分はこの過ちと無縁ではない。感情に支配されることがしばしばあり、その度に自分の感情しか見えなくなってしまう。

そんな時に、自分の怒りを正当化させているものは何か、その怒りはどのように解決されるかを考えられる知力と胆力が欲しい。怒りだけではなく、悲しくなったり不安になったりした時に、感情の発生要因とその経路、解決方法などを判断できるようにしたい。