人生

やっていきましょう

以前に書いたかもしれないが、apexで他人が失敗しても苛立ちをまったく見せない配信者がいる。悔しがりはするが他人のせいにはしない。

この配信者の動画を見るたびに自分は心からの賞賛と感動を覚える。ソロで潜っていて意思疎通の取れない人間と遊んでいながら、まったくの一度も怒りを露わにしたことがない。暴言を吐いたこともない。イラつきを我慢している様子もない。

別の配信者もapexはあまりイライラしないと言っている。信じられないことだ。自分は遊ぶたびにストレスが最高潮に達し遊んだことを後悔してやめるというのに。この前は爆発寸前のところでMMOのデイリークエストを思い出し事なきを得た。さもなければ画面に向かってとんでもない量の呪詛を吐き続けていただろう。

この差は一体なんなのか。おそらく理由は二つある。ひとつは自分が制限を抱えながらプレーしていること。もうひとつは完璧主義であるということ。

自分は勝つための準備をしていない。もし自分が勝ちたいならば、自分の操作に合う設定を自分でカスタマイズして、自分と連携が取れる仲間とランクを回す。しかし自分の設定はデフォルトのまま、ランクはソロが基本、武器もp2020を持つ始末。自分から不利になっているようなものだ。

これは自分のこだわりのようなものだ。これが自分であり、これで勝ちたいという思いがある。だが敢えて不利になるならば、自分は勝利を断念し、脱力的にゲームを楽しむべきだった。

しかし自分は不幸にも完璧主義者だった。こうした制限を人より背負いながら、その苦境の中で勝ち筋を見出すことに価値を見出す異常者である。だから自分は多くの不利を自ら背負いながらも、その制限を逃れた数少ない優位によって勝利を掴むことに奔走する(見方を変えれば最悪のプレイヤーだ。自分の不利を棚上げしておいて、自分の認める点においてのみ相手に完璧を求めるからだ)。

完璧主義者というのは、常に最高値を平均値であると誤解する生き物だ。自分はいつだって最高のパフォーマンスが出せると信じきっている。実際は様々な不確定要素によってその理想は崩されていく。

それが普通だ。しかし完璧主義者は最高値への執着が強いから、それが何らかの要因で阻害されると無性に腹が立つ。特にそれが予見できていながら回避できないとかなり酷いことになる。

例えば1人の人間が常に敵の位置を把握し続けられるわけではないから、チーム全体でのピン刺し報告は絶対だと考える。しかしそれをやらない人間は当然いる。あるいは常に複数対少数の構図を維持すれば勝てるから、カバーの意識を徹底しているし、それを他人に求めている。しかし味方は(特にデュオの場合)ほとんどカバーしない。

思うようにいかず感情が爆発する。味方がおかしいという怒りに支配される。だがもっとおかしいのは自分だ。自分と同じかそれ以上の価値観、規模、水準で物を考えることを味方に強いている。そして自分の恥ずべき傾向である【勝手に期待して勝手に裏切られる】をまたここでも繰り返している。

自分はこの負の傾向を次のように克服できることを信じている。すなわち自分にも他人にも完璧を求めすぎない。失敗は自分に課題を発見させてくれる良い機会だと捉える。勝ち負けに執着しない。怒りを感じ始めたら疲労のサインと捉え中断する。

怒るくらいなら勝つための準備をする。敢えて不利をやるなら負けやすさを受け入れる。