人生

やっていきましょう

直感に頼ることに限界を感じる。あるいは、自分の普段の認識力、理解力が想像以上に衰えていることを自覚する。

自分は頭を使っていない。文章を考える時も、創作をするときも、適当に思いついて形にしているだけだ。昔からそういう傾向はあったが、それが自分に与えている影響はかなり深刻だと思う。

apexで試合をしている時にそれに気が付いた。遊びのひとつをとっても自分は惰性と思いつきでものを動かしているし、似たような失敗を繰り返していながらそのことに気づかずに負けたことへのいらだちや不満を味方にぶつけたくなってしまう。

これらにまったく意味がないことに突然気づいた。何よりも重要なことは勝ち負けではなく、自分がその経験から何を引き出すかということだった。自分はゲームに勝つことで心理的安定を得ようと必死になることはない。自分が試合の中で仮説を立てて、自分の考えに従って行動し、そこで得た結果について反省することが重要だった。

これは創作についてもいえる。極論を言えば創作を面白くする必要はない。作品を面白くしようとする過程で何を学び、何を次に生かせるかということがもっと大事だ。幸いなことに、自分は勝ち続けなければならないと思い込まされるような、エリートの街道を歩いてはいない。自分という無価値な人間は誰にも期待されてはいないが、しかしだからこそ他人の期待という重圧から束縛されない、自由な立場にあるといえる。

最近スマブラを始めた。期間限定でオンラインの無料チケットが配布されたからだ。知り合いと久しぶりに遊んだ。当然自分は弱い。相手は遥かに強い。しかしそれでいいと思った。何度でも失敗し続ければいい。そのまま失敗に終わってもいい。なぜなら人はそこから学ぶことができるからだ。

世の中のあらゆる活動は、自分の全人格を賭けた不変の価値を巡る戦いであるという見方がある。自分は10年近くそのような価値観に支配されていた。勝たなければ意味がない、弱者の自分に価値はない、そのことに自分は精神を蝕まれていた。そしてそのために重要なことが見えていなかった。自分はとにかく雑だった。問題の解決ではなく、自分の心の内側しか見えていなかった。

重要なことは、物事を観察するということだ。これは何度でも繰り返して言いたい。自分が失敗するということは、何かしらの原因があるはずだ。それを特定し改善につなげることで、少なくとも一歩は前進する。失敗や行き詰まりというのはその原因を知る貴重な機会であり、それに比べれば自分の名誉や結果など取るに足らないことだ。