人生

やっていきましょう

段々ウディタを開くのが怖くなっている。自分が今まで作ってきたすべてをまざまざと見せつけられる。開いてしまえばどうともないのだが、これ以上自分の失態を見たくないという気持ちがあって、それで開くことができなくなってしまう。

今日もウディタを開くのが嫌になってこちらに逃げた。自分の思考を整理すれば別に恐れることではないと分かる。だがその前に、まずはこの不安について理解しておく必要があると思った。

この不安は何なのか。8年以上駄作の制作に時間をかけてきたことへの後悔、またそれが終わってしまった後に何もないということへの不安。本来ならもっとはやく仕上げるべきことだった。それをグダグダと作り続けて何年も無駄にしてきた。そのことへの苛立ち。もしくはこれだけ時間をかけてこんなものしか作れないという自分への失望か。

こうした悪い感情について自分は一旦思考を停止する必要がある。この悪しき不安を拭い去るひとつの有効な手段は、仮に自分がゲームを作らなかったとしてよりよい人生が抱けたかと自問することである。おそらくここまでゲームを作らなかったら、ただ毎日ゲームをやって配信者の動画を見て、自分の不安から目を背けるだけの人生だっただろう。つまり今と大して変わらないのだ。

いやそんなはずはない、自分は自分の人生と向き合って失敗から立ち直り挫折から克服する道もあったはずだと考えることもできる。しかしそれは現実的な所見というよりはそうでありたいという希望であって、そこには何の根拠もない。自分の浅はかな知見や能力、自分の遺伝や環境といった様々な要因を考えてみると、むしろ自分はよくやっている方だと思う(それは決して人生の成功ではないが、辛抱強く何かに取り組んできたという点に限っては評価できる)。

そのことを少しでも思いやれば、自分の人生は無駄な生き方の中では多少はマシな方であると思うことができる。それがせめてもの慰めになるのではないか。

最近自分の現実を見るのが怖くなっている。だがそれではダメだと思う。自分はもっと自分の現状を受け入れ、しかし過度には苦しまず、自分のできる範囲を正しく認識し、それに甘えず、もっと目の前にある壁をひとつひとつ乗り越えていくということを考えたほうがいい。