人生

やっていきましょう

新しいことというのは山小屋で住み込みバイトをすることだ。少し前の富士山での経験から、自分に何かできることがあるような気がしていた。既に電話で話をして、7日から働くことになった。

自分でもこの行動力に驚いている。自分は今まで対人不安を抱えて生きていて、4年前からまっとうな社会生活は無理だと考えていた。今までの自分だったらこんなことはできなかった。しかしこの数年間自分に向けて言葉を書き続けてきて、自分の精神状態や社交不安は実際のところ自分が思ったほどに重度ではないと考えるようになった(重度ではないというのは、ある程度自分にコントロールできる余地があるという意味だ)。そして自分がどのような状態にあれ、自分自身の無価値を理由に怯む必要がないことを学んだ。これまでは踏み出すきっかけがなかった。だが今回はその立証のために新たな挑戦をすることを決めた。

不安はあるが、それ以上に挑戦したいという気持ちと自己破壊的な衝動に従いたいという思いがある。自分を分析してわかったことだが、自分の不安の源泉となっているのは自分の完璧主義とそのプライドである。自分の価値を証明しようとして自分を精神的に追い詰める。それが失敗できないという恐怖を生み、自分を混乱させ、自分自身を心の内側に閉じ込めようとする。

だがそうした無能である恐怖を捨て去り自分は無能で当然だと思い始めると、自分はもうどうなってもいいと気楽になれる。自分はもう何度も失敗しているし、何度も誤解もされている。どうせ価値のないクズだ、それが自分の基本だ、そう思うようにした。すると不安が消える。何だっていいと思える。窓から飛び降りたり、ピストルで頭を撃ち抜くのと何ら変わりない。どっちも不確かな未来に向けて飛び出す勇気が要る。

だが事態はそれほど深刻な問題ではない。自分が何であれ、どんな状況であれ、何も重要ではない。なぜなら事実は自分で自分を追い込んでいるという状態があるだけだから。自分が今回しようとしている試みであれ、そこまで重要なことではない。結局、ぬるま湯に浸かっていようが、熱湯に飛び込んで自傷しようが大した違いはない。

自分は今回の試みを実験的な眼差しで見ている。自分に衝撃を与えてどんな変化が確認できるのか。この結果が何であれ、自分にとっては学習の機会になる。上手く行けば自信になるだろうし、最悪の結末を迎えたら自分に向いていないことが分かる。何にせよ、今回の試みで自分の世界が変化が訪れることを期待している。