人生

やっていきましょう

自分がなぜここにいるか分からないという感覚が日々強くなっていく。これはこの環境だからだとか、だれかが嫌だからとかいうことではなく、集団生活をしているといつも感じることだ。高校の学園祭の時、自分とは無関係に機能し続ける舞台とそれを盛り上げる生徒の集団を眺めた時のあの感覚と同じだ。自分がそこにいる意味がないという事実が過剰に認識される。集団の中に自分の存在意義を定義づけることができない。役割を演ずることで自分の人生に没入することができない。自分は常に孤立している。

ただ以前とはすこし違った視点を持つようにはなった。それはつまり集団の中で自分を定義づけるためには、集団に対して自らすすんで働きかけなければならないということだ。集団における自己の定義とは、すなわち集団が自分に対して持つ共通認識のことであるから、自分が集団に認知されなければそのままundefinedな存在として認識されるのは当然である。

自分はこの環境で不貞腐れたり自ら孤立するようなことなく、むしろ集団の中に溶け込むために進んで他者と交流している。他者の話を遮ることなく活かすような返事をして会話を促す。ここまで自分が真人間に近づいたことはなかったが、未だに自分が集団の一員であるようには思えない。彼らは自分のことを仲間だと思っているだろうが、自分はそうではないということが分かっている。

ある種の人間は、集団の中で認識されている自己と自分自身が認めている自己を自然に関連付けることができる。自分はそうではない。自分を定義できる範囲が自分の頭の中だけにしかない。自分は一人でいるときに自分自身になれるのであり、他者がそこにいるとたちまち偽物になってしまう。脆弱な自己が偽物の自己に圧倒されるとき、自分は自分を定義づけられなくなる。