人生

やっていきましょう

その日自分は体調が良く元気だった。昨日までのイライラは改善し、今日も肉体労働を頑張ろうと思っていた。

いつもの朝食の後、昨日ペアで砂出しをしていたスタッフと共に管理人に呼ばれた。実は今日明日で山を降りてほしいということだった。

端的に言うと理由は2つ。ひとつは自身の体力に対する懸念。自分は一昨日と今日砂出し作業をしていたが、酷く息切れを起こしていた。空気の薄い環境であるから仕方ないとはいえ、元々自分は体力が少ない方ですぐに消耗することは分かっていた。これ以上この状態が続くとなれば業務に支障が出ることになるし、何より体力の限界に達していると分かっていながら自分を酷使することが心情的につらいということだった。

二つ目はその消耗した状態に陥った時の自分の態度だった。普段自分を含めたスタッフは食事時に団欒を囲んで雑談を楽しむのだが、ここ最近の自分は会話に全く加わらず輪に加わろうとしていなかった。それどころか最近の自分は目が座っていてとても怖い顔をしていたということだった。こうした態度は他のスタッフの和を乱すことになると考えていたようだ。

当然自分は反論した。自分はスタッフや管理人が嫌でそんなことをしていたわけではない。不適切な態度だったことは認めるが、それは少し疲れていただけだった。今日は調子が良いからまだ頑張れる。自分は元々10日(2週間)までやるつもりだった。これまでの態度は改める、せめてあと1週間自分に頑張らせてもらえないか。しかし管理人の態度は変わらなかった。

もっと反論できたかもしれない。だが自分も管理人と話しているうちに、色々と納得してしまった。自分の体力は確かに限界を迎えていた。ここ数日の日記を見返すと、自分の精神状態が荒んでいることが分かる。何より自分の顔がそこまで酷いことになっているとは気づかなかった。自分は自分の知らないところで、周りに悪影響を与えていた。

自分は自分のエゴを突き通すよりも職場の都合を優先すべきだと考えた。なぜならこれは自分への人体実験ではなく、サービス業という立派な仕事だからだ。自分の都合だけの問題ではない。今退くことが双方にとってベターであるということが自分には分かっていた。

そこで翌日下山することを了承した。管理人はそれまで自由にしていいと言ったが、自分はせめて今日と明日の朝までは業務に参加させてほしいと言った。それは受け入れてもらえた。

今日は最後の砂出しをやった。いつものように午前中いっぱいと午後の半分を使って、バケツの砂を山に捨てる作業を繰り返した。不思議と苦痛には思わなかった。やはりゴールが近いと分かると人は元気が出るものだ。

その日の昼と夜はスタッフとの会話に積極的に参加した。管理人に言われたからというよりは、気力と体力に余裕があったからだ。それにどこか、あと腐れの無いようにしたいという思いがあった。

ベッドについて色々と考えた。一番考えたのはあと一週間はやりたかったということだ。この2日間自分の頭にあったのは1週間頑張るということだけだったからだ。それが思いもよらぬ形で終わりを迎えた。自分としてはあっけない結末に悔しさがある。だが正直に言うと、自分が下山できる喜びの方が大きかった。やはり自分は消耗しきっていた。体力の限界を無理で乗り切ろうとしていた。自分一人の戦いならそれでいいかもしれない。だが集団で動くならそうした自己都合を優先させるべきではない。局所解は全体の最適ではない。

とにかく今日は休もうと思う。明日の下山に向けて準備をする。実は管理人も買い出しで一緒に下山するからブルドーザーに乗せてくれるということだった。通常なら数万かかる。それが無料だ。楽しみでしかない。