人生

やっていきましょう

自分の人生はいつだってここにいることが正常であるという瞬間がなかった。いつも自分が存在することの違和感と向き合い、同じ地平に立っているはずの他人がそうでないということを不思議に思っていた。

自分の世界観は、多くの人間が何らかの形で共感の結束で繋がっているというものだ。そして自分だけがそこに入ることができず、いつだって孤独に追い込まれる。自分はどこへいっても仲間にはなれずここに居て良い理由を持てない人間だ。

こうした人間、つまり自分がそこにいること自体が異常であると考える人間は、当然そのことを深刻に考えるに違いない。これだけで自殺をする理由にだってなる。しかしある時から自分は、この存在することの異常さを面白がっていることに気づいた。

自分がここにいることが異常であるのに、なぜかここにいるということがジョークのように思えたのだ。口がきけない中高時代にそうでない人間たちの盛り上がりを外から見せつけられた学園祭、学力が足りないのに上振れでなぜかこの大学にいるという違和感、自分を生かそうとするあらゆる試みに失敗し心から挫折したはずの自分がなぜか生きているという矛盾、どの瞬間も自分は道化か何かだと思えた。

自分が何者であるかを語る時「何者でもない」と語るのは正確ではない。自分が好むと好まざるとにかかわらず自分は何者かであるだろう。それは何かといえばやはり道化ということになる。自分がいまここにいるということの異常さに対して、現実の否定や自殺、まして妄想に取り憑かれることもなく、ただ「ジョーク」と解したという傾向そのものが、自分を道化と呼ぶにふさわしいものだ。